常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

歌人伊勢

2015年12月18日 | 


雪が降らないことが話題になっている。『枕草子』に宮中の雪の朝、「香爐峰の雪いかならん」と問われて、廊下の簾を上げた話は有名だが、我が家から見える滝山は、裾野に少しだけ雪が見える。予報では昨夜から明け方にかけて、平地にも雪とあったが、高い山が雪化粧をした程度の雪であった。『大和物語』は、十世紀後半に成立した「あわれ」の情がにじむ歌物語である。

王朝人の間に伝わる歌にまつわる逸話を集め、『源氏物語』や『枕草子』にも影響を与えた。物語の冒頭は、伊勢の歌で始まっている。宇多天皇が退位して、女御温子とその女房であった伊勢も住んでいた弘徽殿を去らねばならなかった。

別るれどあひもおしまぬも百敷を見ざらむことのなにかかなしき 伊勢

帝は女御の部屋にいた伊勢をも寵愛して、その間には夭逝した皇子までが生まれていた。住んでいた屋敷を見なくなることの寂しさを詠んだものだが、その裏には帝への思いが込められている。伊勢はこの歌を弘徽殿の壁に貼り付けたのである。

身ひとつにあらぬばかりをおしなべて行きめぐりてもなどか見ざらん

伊勢の歌を見た宇多天皇が、返しに詠んだ歌である。去っていくのは、私ばかりではないのだね。だが、去ったとてどうしてめぐり逢わないことがあろうものか、と再会の可能性を詠んだ。事実、宇多上皇は出家して仁和寺に住み、時おり温子のもとに通い、琴を聞き、侍女を集めて御下賜の品を与えて旧交をあたためていた。

百人一首に伊勢の歌がある。

難波がたみじかきあしのふしのまもあはでこの世を過ぐしてよとや

切ない女心の吐露である。こんなにあなたを思っているのに、葦の節の間のような短い間も会えないと仰るのでしょうか。恋多き伊勢であったが、この歌の相手が宇多天皇であれば興味が倍加すると白洲正子は『私の百人一首』のなかで述べている。伊勢は三十六歌仙の一人で、紀貫之と並び称さされる大家であった。

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