杜甫は求めていた官職になかなか就くことができず、やっとのことで47歳のとき長安の都で左拾遺の官についたが、この役所で他の役人たちとウマが合わず、役所の帰りに酒で憂さを晴らすことが多かった。来ていた衣服を質に入れ、飲み屋で酔いつぶれるほどに飲んだらしい。
酒債尋常行く処に有り
人生七十古来稀なり
酒のつけは至るところにある。人生七十古来稀なりの句から、七十歳を古稀というようになった。杜甫の時代は、そうだったのだろうが、今日では七十歳は稀でなどなくなっている。若い人の姿を見るより、七十歳を超えた老人の方が多いようにさえ感じる。
そのため、七十七歳を喜寿、八十八を米寿、九十歳を卒寿、さらには九十九歳を白寿と呼ぶことが多いらしい。百から一をとると白になるという文字遊びである。七十五歳からを後期高齢者と呼ぶのは、こんなしゃれた文字遊びの感覚を持たないお役人の作りそうな言葉ではある。