易水にねぶか流るる寒さかな 蕪村
長く京都に住んだ蕪村は、冬の句が似合う。敬愛した芭蕉が旅に句境を見出したのとは対照的に蕪村は、「売喰の調度のこりて冬ごもり」と詠むように貧しい住まいに籠る暮らしであった。易水は中国河北省易県を流れる川である。荊軻が刺殺を誓って燕の太子丹と別れる有名な故事の場がこの川の辺である。「風蕭々として易水寒し、壮士一たび去って復還らず。」秦の始皇帝を暗殺しようとした荊軻は、その企みを見破られて命を落とした。
蕪村が易水に見立てたのは、京都の鴨川である。壮士の別れが易水の寒い冬だったとすれば、蕪村の立つ鴨川には根深ねぎが流れてくる。冷たい水にねぎを洗う手の切れるような冷たさ、鴨川の寒さを物語っている。蕪村は詩嚢に漢詩の句をたくさん詰め込んで、自在に句を詠んだ。まさに籠り居の詩人の面目躍如である。