常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

風立ちぬ

2017年12月15日 | 読書


冬になると、畑仕事もなく、部屋にいて読書の時間が多くなる。以前は、時間があると本屋を覗くのを趣味のようにしていたが、最近はめっきりその回数も減った。かわりに、電子書籍を利用することが多くなっている。今年のノーベル文学賞は、日系イギリス人のカズオ・イシグロが受賞したが、この人の「日の名残り」、「わたしを離さないで」、「忘れられた巨人」を読むことができたのは、望外のしあわせであった。いずれも、コボからダウンロードして紙ならぬ電子リーダーで読んだ。紙の本と違って読みかえすときに少し違和感があるが、読みたいと思ったときすぐに読めるスピード感がいかにも現代的である。

もうひとつ利用できるのは、スマホの青空文庫である。著作権が切れた作品ということになるが、電子書籍のコボにおとらぬスムースな操作感がある。古本屋に行ってもなかなか手に入らぬような古典が無料で読むことができる。永井荷風の「断腸亭日乗」、「墨東綺譚」。谷崎潤一郎「細雪」「痴人の愛」、種田山頭火「乞食記」など昭和の名作が、居ながらにして読めるのは、書籍の電子化が、私のような一般人にもあまねく及ぶ恩恵である。なかでも、堀辰雄の『風立ちぬ』が、懐かしい気持ちにさせてくれた。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」

主人公が、夏の日、草原で絵筆をつかう彼女と恋仲になるのだが、その邂逅のとき主人公の「私」の口をついで出た、詩のフレーズである。ヴァレリーの詩のフレーズである。小説では生と幸福の序曲としてこのフレーズが選ばれているが、それは彼女の死の暗示でもある。堀自身、若くして結核を患い40歳の若さでこの世を去る。当時の日本にあっては、結核は今日の癌のようにいわば不治の病であった。絶望ともいえる状況のなかで語られる恋は、得難い人生の宝物へと昇華されていく。
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