昔話には、「おじいさんは山へ芝刈に、おばあさんは川へ洗濯に」という枕がある。かつての日本の生活は、燃料のほとんどを近くの山から取るタキギに頼っていた。正月の行事に、「キキリゾメ」や「コリゾメ」というのがあって、山に入って形ばかりの木を伐り出してくることが行われていた。宮本常一の書いたものを見ると、昭和10年ころ伐られている山林のうちその6割が燃料になっていたという。
正月の行事で九州の山中では「ワカギムカエ」が行われいた。5間も6間もある長い杉の木を、家の人数分伐り出して、その梢の葉ばかり残したものを家の前に立て並べる風習があった。山に入る前には、山の神にお祈りをするのが仕来りであった。明治以前の古い時代は、タキギ山はその麓の集落の共有で、山中にタキギを積むタナを作っていた。農閑期になると人々は一間ごとに柱を立て、その間に高さ一間になるほど木を積んで行く。これが一タナである。一年ほどこのタナを山中に置くと木は枯れて来る。それを雪の時期にソリに乗せて運びだして来た。一つの集落で、5タナも6タナも持っていたという。
どこの家にも四角にイロリガ切られ、その上でタキギを燃やした。そこで暖をとるのが主たる目的だが、五徳を使うことで湯を沸かすことでき、簡単な煮物もできた。アクのなかにサツマイモや栗を入れて焼くのも、イロリの楽しみであった。家族がイロリノ囲んで集まり、楽しい話がはずんだであろう。
まだ雪が降り始めたばかりのころ、今年の登山納めに白鷹山に登った。山頂に山小屋があり、小屋の中央にイロリがあった。イロリの真上の屋根には、煙だしの窓が切ってあり、下がった紐で開け閉めができるようになっていた。燃料は古い屋根を葺いた板や乾燥した木の枝が置いたあった。火を焚いて暖を取り、イロリのまわりで弁当を食べた。ただ、小屋中に煙が充満したのには閉口した。屋根の煙出しを開け、窓を開けたがそれでも、煙が目に入った。しかし、イロリを囲むとホッとした気分に浸れる。昔の日本文化を味わうには、こんな山上の小屋まで足を運ばなければならない。