西郷隆盛が月照和尚の13回忌に詠んだ弔詩がある。その起承の句に
相約して淵に投ず後先無し
豈図るらむや波上再生の縁
とある。しっかり身体を結びあって共に死ぬはずであったが、自分一人が錦江湾の波の上に生き返った因縁を回顧している。京都の清水寺成就院の僧月照は、尊王攘夷を唱える薩摩藩主島津斉彬とかねてからの知己であった。斉彬に頼まれて、攘夷運動の連絡係のような役割を果たしていた。幕府の大老井伊直弼は危機を感じ、安政の大獄と言われる弾圧に乗り出す。
安政5年、幕府に追われて薩摩に身を寄せた。しかし、藩では斉彬の死という事態にあり、幕府とことを構えるのを嫌い、西郷に月照を託し、日向に身を隠すように命じた。西郷は藩の態度に怒りながら、もはや二人が死を選ぶほかはないとの結論にいたった。二人が月の照らす海の縁に身を投ずるのはその年の12月19日のことである。
頭を回らせば十有余年の夢
空しく幽明を隔てて墓前に哭す
西郷の漢詩は、吟詠家によって吟じられる。技巧によらず、その情を直截に表現することが、好まれる由縁であろう。