瀧山の雪が日に日に白さを増して行く。スキー場は、もう多くのスキーヤーで賑わっているのであろうか。堀辰雄の『風立ちぬ』の舞台は、八ヶ岳の麓のサナトリウムである。主人公の私は、恋人の節子の病を癒す転地療養につきそうかたちで、このサナトリウムで暮らすことになる。二人が見た八ヶ岳は、あまりに美しいものであった。夏の夕暮れ、サナトリウムのまわりの山や森は、沈みゆく夕日に茜色に染められて行った。
節子がその景色をだまって見入っている私に話かける。「何をそんなに考えているの?」「私達がずっと後になってね、今の私達の生活を思い出すようなことがあったら、それがどんなに美しいだろうと思っていたんだ」「本当にそうかも知れないわね」しばらく経って「そんなにいつまでも生きて居られたらいいわね」と言い足した。「又そんなことを!」
そんなやりとりがあって、節子が謝りながら、自分の本心を語る。
「・・・・あなたはいつか自然なんぞが本当に美しいと思えるのは死んで行こうとする者の眼にだけだと仰ったことがあるでしょう。・・・・私、あのときね、それを思い出したの。何だかあのときの美しさがそんな風に思われて」そう言いながら節子は、私の顔を何か訴えたいように見つめた。
小説を読みながら、八ヶ岳に登った時のことを思い出した。一回目は赤岳山荘から赤岳頂上小屋に泊まった。小屋についた時間は夕方で、沈みいく夕日が目前の赤岳を赤く染めあげていた。おりしも台風一過の快晴であった。台風を避けて登山者は少なく、登山道は高山植物の花が咲き乱れていた。夕日に赤く染まった赤岳の雄姿はいまだに忘れられない。二回目は御小屋尾根から阿弥陀岳を経て赤岳に登るコースを取った。この朝深い霧の中を登り始めたが、高度を上げるにつれた霧が晴れ、阿弥陀岳や赤岳の鋭鋒が顔をのぞかせた。霧が晴れる刹那の山容のすばらしさもまた忘れられないものである。