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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

午前中の果物は金

2012年06月11日 | 日記


梅雨に入って3日目、晴れ。畑の野菜たちの成長が目を見張るようだ。本日の作業、キュウリのネット張り、トマトのわき芽摘み。本日の収穫、サントウ菜、シュンギク、ホウレン草、キュウリ1、アスパラ2。
サクランボの実が膨らんでいる。20日ごろには市場にでまわるのではないだろうか。

「午前中の果物は金、昼から3時までは銀、3時から6時までは鉄、6時以降は鉛」

果物についての諺だが、これはイギリスのものだ。日本ほど果物が豊富な国は、国際的にも珍しいようだ。例えばりんごはグルグルと皮をむいて、食べやすい大きさに切って、食塩水にくぐして大皿に盛るのが日本流だが、イギリスでは皮をむかず、ナイフで縦に4つに切り、一切れだけを食べて、残りは切断面に紙をぴったり張って後で食べる。一個のりんごを大切にして、毎食食べるのがイギリス流である。

朝起きて食べる果物は心身を爽快にするだけでなく、胃の活動をうながして食べものの消化吸収に役立つ。反対に寝る前に食べるくだものは、百害あって一利なしだ。バナナの白い繊維などはどんな丈夫な胃腸でも消化することはできなし、下手をすれば下痢をしてしまう。

パイナップルにこれから本格的に出回るブドウ、スイカ、スモモなどはどれも子どもたちの大好物である。だが、発育中の子どもたちの胃では消化しにくい。そこで、少しづつ小分けににして、イギリス流に回数を増やして食べさせたい。

ただひとつ惜しみて置きし白桃の
  ゆたけきを吾は食ひをはりけり 茂吉

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青春とは サムエル・ウルマン

2012年06月10日 | 詩吟
この詩は、山形岳風会で地区会長を務められた横山岳桜先生の愛吟詩であった。

「青春とは人生のある期間をいうのではなく心の様相をいうのだ」

90歳を越えて、なお若さあふれる声を持つ横山先生の吟は、会場いっぱいに響いた。この詩の内容を、横山先生の吟が実践していられるかのようであった。

まず、サムエル・ウルマンの詩を新井満の自由訳で紹介する。

 青春とは

真の青春とは

若き

肉体のなかに

あるのではなく

若き

精神のなかにこそ

ある

薔薇色の頬

真赤な唇

しなやかな肉体

そういうものは

たいした問題ではない

問題にすべきは

つよい意思

ゆたかな想像力

もえあがる情熱

そういうものが

あるか ないか

こんこんと湧きでる

泉のように

あなたの精神は

今日も新鮮だろうか

いきいきしているだろうか

臆病な精神のなかに

青春は ない

大いなる愛のために発揮される

勇気と冒険心のなかにこそ

青春は ある

この詩の作者、サムエル・ウルマンはどんな人であったか。1840年、ウルマンはドイツの南部で生まれた。1851年、ウルマンは両親とともにアメリカ南部に移住、ミシシッピ川の畔にあるポート・ギブソンに住んだ。

1861年に南北戦争勃発。南軍に従軍したウルマンは、負傷し左耳の聴覚を失った。慈善活動を積極的に行い、41歳のとき、ユダヤ教の寺院創設に尽力、教会の会長にも選ばれている。家業は鉄鋼の町バーミングハムで金物店を経営した。

一生を宗教活動と教育に捧げ、弱者を救済することにもっとも力を入れ、市民から尊敬を集める人格者でり、また指導者であった。ウルマンは80歳の誕生日を記念して、お祝いに詩集を作ってもらうことになった。そのときウルマンは、巻頭を飾る一編の詩を書いた。
それが「Youth」(青春とは)である。

この詩はその後、数奇な運命をたどり、日本中に知れ渡り、詩吟でも吟じられるようになる。19世紀アメリカで尊敬を集めたとはいえ、年月とともにウルマンもこの詩の存在も人々から忘れられていった。

1945年8月、降伏した日本に設けた連合国総司令部(GHQ)の最高司令官として着任したマッカーサー元帥の執務室に大統領の写真とともにこの詩(Youth)が掲げられた。マッカーサーはこの詩を愛し、日々愛唱したのだという。

たまたま、このことを知った一人の日本人がいた。彼はこの英詩を書き取り、日本語に翻訳した。その人は日本の羊毛工業会の発展に尽力した岡田義夫であった。その訳詩を見た
友人の森平三郎が書き取り、故郷の桐生で新聞に投稿した。これを読んだ読者の反響は大きく、財界の著名人の心を動かし、「青春の会」なるものが発足する。

この財界人には、松永安左エ門、伊藤忠兵衛、松下幸之助、石田退三など錚々たる人たちが名を連ねている。

新井満はこの詩を訳するにあたって、マッカーサーが愛唱した詩とウルマンの原詩には違いがあることを見つけている。この詩を愛唱した人々が、少しづつ書き換えたものであると指摘している。

70歳を越えて、いまこの詩を読み返してみると、やはり胸にせまるものがある。新井満はこの詩が老人を鼓舞するだけでなく、若い人にも愛読して欲しいと書いている。
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タケノコ汁

2012年06月09日 | グルメ


今週の山の会はタケノコ汁を楽しむ会。参加人員20名。
会は神室に登る班、タケノコを採る班、賄班の3班に別れて行う。私はタケノコ班。
あいにくの小雨の中を決行。笹谷峠から山形神室に向かう尾根の東斜面に広がる笹薮でネマガリダケを採る。

背を越える笹薮は思いのほか移動に疲れる。登り開始から小雨が降ってくる。藪のなかにしゃがんで根元をじっくりと探す。一本見つけると、その周りで2、3本が採れるのが普通だ。しかし、今年は早いのか、出はまばらである。

sさんと組んで、声をかけながら藪を進む。
タケノコ班は9名だが、広がっている藪の中では誰がどこにいるか、たちまち分からなくなる。目をこらして見つけた周辺をさらに探す。3時間ほど藪の中で雨に濡れながら格闘する。
収穫は思ったほどではない。

峠の山小屋に集合して、賄班と一緒に採ってきたタケノコの皮をむく。
豚肉と鰊の2種類の大鍋に、皮をむき、節をはずしたタケノコを放り込む。たちまち小屋のなかには、鍋の匂いが充満する。外は本格的な雨になる。
煮あがったタケノコ汁は豚、鰊のいずれもが美味。口のなかにタケノコ香りが広がっていく。年に一度しか味わえない、とびきりの季節のあじである。
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紅花物語

2012年06月08日 | 読書


紅花の季節がやってくる。宮崎駿のアニメ映画「思い出ぽろぽろ」で、紅花畑が美しく描かれたのもついこのあいだのことのように思うが、あれからもう十数年が経っている。

山形に住んでいると、山形を舞台にした小説や映画が不思議に気になる。
水上勉の「紅花物語」はもちろんそうだが、遠藤周作の「おばかさん」は、私が山形へきた年(昭和34年)に朝日新聞に連載されていた。旅館「後藤又兵衛」や「沼の辺」など山形の地がリアルタイムに小説の舞台として登場するので、新聞を開くのを待ちかねた。

宮本輝の「錦繍」は冒頭の書き出しが、蔵王温泉で秋の紅葉が美しく描かれていた。そこに惹かれて読み始めた宮本輝であるが、新しい文庫が出るたびに買い込んでこの作家にはまってしまうことになった。

改めて「紅花物語」を通読した。

「紅花物語」は京紅づくりの木下清太郎に職人として住み込む玉吉と、そこへ嫁ぐ山形の紅花農家の娘とく、その職人勇が織り成す紅づくり物語である。清太郎亡きあと、玉吉ととくが師の紅清を継ぎ、さまざまな工夫をして成功を収める。山形は、ここでなければできない高い品質の紅花の生産基地である。江戸時代から続く、地域の伝統農業である。

一方、京都は地方から提供される素材を生かして加工する物づくりの拠点だ。同時に加工された口紅を消費する街でもある。祇園、先斗町などの芸妓、歌舞伎役者など京紅でなくてはならない消費者が存在した。

物語は夫婦二人で築いた玉吉紅であったが、玉吉が花街に出入りするようになってから、秋子という女ができる。「五番町夕霧楼」を思い出させる、遊郭の場面が描かれる。夫婦の間に溝が生まれ、とくは玉吉のもとを飛び出し、郷里に向かう。だが時代が、戦争と不況へと大きく動き出す。

水上勉の京ことばは、悲惨な時代にあっても、美しく全編に響きわたる。

「うちの紅が・・・金賞に・・・」
いったまま、足をこわばらせていただけである。わきで勇が聞いていて
「旦はん」といった。「おめでとうございます」玉吉は勇に祝い言を云われてはじめて実感がわいた。
「ありがとうございます。課長はん・・・わしは、金賞もろたなんて・・・ユメ・・・信じられません」

玉吉の紅づくりが認められて、京都知事賞の金賞を受賞する場面である。
玉吉も勇も戦争にとられ、戦死する。あとに残されたとくは郷里に帰るが、女手ひとつで京紅を守りぬく決意をする。

まゆはきを俤にして紅粉の花 芭蕉

「おくのほそ道」の旅で、尾花沢で詠んだ芭蕉の句だ。山形には産業としての紅花はすでになく、観光用に細々と栽培されているのみだ。物づくりの日本のバックボーンを支えてきた地域へ、いまいちど目を向けてみたい。
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食堂かたつむり

2012年06月07日 | 読書


曇り。予報は晴れだが、雲が多い。
散歩の途中でブック・オフに、ぶらりとよってみることが多くなった。先ず、105円の棚を見る。この棚には、時々掘り出し物を見つけることが多いからだ。

きのう、105円の棚から選んだ3冊。小川糸「食堂かたつむり」、瀬戸内寂聴「場所」、かむろたけし「十円玉空」。いずれも、古本とは思えない美本で、これが315円で手に入るとは思いもよらないことだ。もっとも、自分の本を持ち込んでも、大半が値がつかず、ダンボールいっぱいが500円というのもざらだから、それほど喜ぶこともないのかも。

かむろたけしは「山形文学」の同人で、ながく同人誌の発行人を務めた。「ひさし伝」の笹沢信は、この人の後をついで発行人になった。本名は菅原武、私の娘たちが通った滝山小学校で教頭先生を務めていた。「十円玉の空」には昭和32年から平成元年までに書いた7編の短編小説が収められている。

小川糸「食堂かたつむり」もずっと気になっていた小説だ。自分はグルメなどではもちろんないが、食に関する本が好きだ。村井弦斉の「食道楽」、檀一雄「壇流クッキング」、池波正太郎「食卓の情景」、丸谷才一「食通知ったかぶり」、丸元淑生の料理本などをずっと愛読してきた。

小川糸の小説に興味を持ったのも、そんな食の本の系列にいれて読んでみたいと、思っていたからだ。だが、関心を持った本を新刊で買うのは、よほどの決心がないと買えない。すぐに、図書館に入るだろうし、文庫になるかも知れない。そんな考えが頭に浮かぶと、本屋で手にとってもつい買わずに帰ることが多い。

ぶっく・オフの105円棚でこれを見つけたので迷わずに買った。散歩から帰っていっきに読み進める。著者にには申し訳ないが、なんだか漫画の「美味しんぼ」の話を連想する。だが、憎んでいたはずの、「おかん」(母)の知らない姿を知り、癌で余命のないのを知り、その人生の最後の晴れ舞台で買い豚のエルメスをして解体し、最高の豚料理に仕上げていくくだりでは、思わず涙が流れた。

恥ずかしい話だが、映画を見ても、小説を読んでも少し感動的な場面になると涙腺がゆるんで涙が出る。これも加齢のなせるわざなのか。同時に老眼が進んで、小さな字が読みづらい。そういえば、まわりで白内障の手術をする人の話がよく耳にするこのごろだ。
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