常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

雲の平からの帰還

2015年08月25日 | 介護


本日台風の襲来を前に、5泊6日の雲の平の山旅を終え無事帰還しました。写真は三俣山荘から見た鷲羽山。この秀麗な山に足跡を残すことができた。この山旅は、じっくりとこのブログに書いていきます。
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山行準備

2015年08月19日 | 日記


雲の平への挑戦は、明後日に迫った。おりしも遠い南の海上に発生した、二つの台風の行路が気になる。朝、刷毛ではいたような絹雲が、空に現れては次々と姿を消す。こんな秋の空も、時間が経つとともに、真っ黒な積乱雲が空を蓋うと、突風が吹き荒れて来る。

5泊の山行となれば、準備するリュックのなかも大変だ。衣類は下着から、雨具に到るまで、空気を通し易く、汗や雨に濡れたところをいち早く乾燥すのが重要だ。汗をかいたところへ寒気に襲われると、体温が急速に失われる。それだけではない、山小屋に泊まって一番必要とされるのは、ヘッドライトだ。蚕だななような寝床から、外にあるトイレに行く為には、最低限必要なものは、足元を照らす懐中電灯である。

きのうから買い込んだもの。速乾性のある下着、寒いときに着るパーカー、GPS用の電池。日焼け止めクリーム、虫よけスプレー等々。山小屋はすべて2食のため昼食べるパン5日分、飲み物ほか。これほど準備に時間をかけるのは、実に久しぶりだ。台風の進路と速度が気になる。日本を直撃するすれば25日過ぎか、台風が秋雨前線をどれほど刺激するか、読めない。

いずれにせよ、この期間のブログはお休み、絶景の写真が撮れればアップします。乞うご期待。
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北アルプス

2015年08月16日 | 読書


秋めいた気候になったと思うと、朝から空に入道雲が見える。畑の朝露のなかで、コウロギの声を聞き、黒い姿をこの目で見た。秋は行きつ戻りつしている。来週に迫った北アルプス、雲の平の山行が晴天に恵まれる予感のようなものを感じた。田部重治『わが山旅五十年』を拾い読みする。田部重治が北アルプスの双六岳から三俣蓮華岳へ登ったのは、大正2年8月のことである。その時の感動が文中に踊っている。

「それを見て私たちはあっと驚いた。あまりにも美しい姿だった。この世にこんな美しいものがあろうとは想像もしなかった。それが動いていたので、いっそう魔のような美しいものに見えた。双六岳が前面に聳えて、その側面の純白な残雪が池になだれ、波が幽かな風にゆれて動くたびに残雪が緑の宝玉のように輝やき、また、もとの純白にかえるのであった。」

双六の池に写る双六岳の残雪の美しさを、このように表現してみせた。田部重治は東京大学英文科を卒業、後東洋大学、法政大学で教鞭をとった。学生時代には、夏目漱石や上田敏の講義を聞いた。当時大学では、漱石の人気が高く、講義を聴きながら漱石の自宅へ行く学生が多かった。田部は、漱石には近づきがたく、上田の方へ近づいて行ったと述懐している。

双六の池近くにテントを張り、田部はそこから見える鷲羽山の雄姿も見ている。鷲羽山の残雪は夕べの空で、夕日を反射してルビーのように赤く光っていることのも感動している。明治から大正にかけて、山はまだまだ人を寄せつけない秘境であった。それだけに、その秘境に触れたとき人の感動は、想像を絶するほど大きい。

茫々と風吹く月の照る峰に一人息づくわがいのちなり 結城哀草果

この歌は戦後、山を愛した歌人結城哀草果が飯豊山中で詠んだものである。山の中で見る自然の姿は時代を越えて人を魅了する。
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墓参り

2015年08月15日 | 日記


墓参りに行くお寺には、百日紅が咲いている。お寺の屋根に、赤い花がひときは引き立っている。今年は13日の雨もよいの日に行ったが、駐車場が満杯になるほどの人がきていた。近所の店から、墓に供える花を買う。考えてみれば、畑があるのだから、墓に供える花を植えれば、貧弱な花を買うよりよほどいい。地獄のなかで苦しんでいる先祖の、年に数度しかない施餓鬼だから墓に供える花は大切だ。

こまかなる光を連れて墓詣 能村登四郎

畑は除草まで手がまわらない。北アルプスの縦走のため、脚を鍛える必要がある。しばらく、野菜たちにはがまんしてもらって、収穫を優先する。そうして倹約した時間を使って、千歳山に登るのを日課にする。今度行く雲の平にある大自然の庭には、名前がついている。日本庭園、祖父庭園、ギリシャ庭園、スイス庭園、アラスカ庭園、アルプス庭園などなど、ユニークな名前だ。こんな名前の絶景に、どのような感情が刺激されるのだろうか。出発まで一週間を切った。
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万緑

2015年08月14日 | 日記


山登りをしていて、緑が美しいことが話題になった。新緑が目にやさしく、美しいことは誰でも知っている。山では新緑が過ぎ、すっかり深い緑になっている。そんな緑を見ながら、「これ、万緑というのよ」と仲間の一人が言った。確かに万緑という言葉があるのは知っているが、目の前の光景が万緑といういかどうか、はっきりとは分からない。

俳句の歳時記を繰ってみると、万緑は初夏の季語になっている。中村草田男が使って季語になったという解説がある。

万緑の中や吾子の歯生えそむる 草田男

木の緑が深まっていくのを見ていると、木の持つ生命力に心を打たれる。そんな季節のなかで、初子の歯が生える生命力とはやはり共通するものがある。

中国の王安石の詩句に

「万緑叢中紅一点」というのがある。岩手山の尾根筋の緑のなかに、ミヤマオダマキの赤い花が咲いていた。この句から「紅一点」という言葉が、男ばかりのなかに女性が一人の状況を指すようになったが、万緑という言葉は、草田男が俳句の季語に使うまで、あまり頻繁に使われる言葉ではなかった。


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