常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

胡瓜の佃煮

2015年08月12日 | 農作業


夏野菜は終りに近づいたが、最後の力をふりしぼるように実をつける。それらの収穫をどう活用するかも野菜作りのテーマである。キュウリは、毎日休まずに20本以上の実をつけるで、通常の食べ方では消費しきれない。クックパッドを参考にして、キュウリの佃煮を作ってみた。以前、ゴーヤの佃煮を食べたことがあるが、それと違った歯ざわりで、キュウリの佃煮も結構いける。千切りにして入れたショウガがいいアクセントになっている。
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お盆

2015年08月12日 | 日記


お盆の帰省ラッシュが始まっている。本来、7月15日前後がお盆の行事であるが、この地方では月遅れでお盆を祝う。今は、夏休みの代名詞のようになっているが、古来冬と夏のタマ祭りであった。祖先のタマ(霊、魂)を迎えるために、一定の期間、人々はは身を慎み、先祖への供養を行い家族の無病息災を祈った。

門には盆花を供え、タマ迎えの道しるべとした。正月の門松も同じ役割を担っている。盆花として使われるのは、桔梗、女郎花、萩などの秋の七草が一般的である。祖先の霊が一時的にやすらう依代の役割があった。13日に精霊(タマ)迎えをして、16日に精霊送りをする。その期間、家には、祭壇を設けて精霊を祀る。一年以内の新精霊には、新しい精霊棚が設けられた。

お盆のもうひとつ考えに、施餓鬼というのがある。祖先が地獄で飢餓に苦しんでいるのを、その子孫が救済するという考えである。お盆は地獄の釜の蓋が開く日として、そこへ堕ちた祖先を供養して、飢餓から救済する日である。これは、祖先への孝養をつくすし、救済することである。帰省ラッシュのどれだけの人が、この祖先への供養のために移動しているのであろうか。
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木槿

2015年08月11日 | 


ムクゲの花がどこの庭にも咲いている。この花はよほど好む人が多いらしい。真夏の庭に、朝次々と花をつける様子は好ましい。紅紫色の花が一般的であるが、白い花もある。京都では、祇園会(7月)のころから咲き始めるので、祇園守りと呼ばれるとことを何かの本で読んだ記憶がある。

今年は日韓国交正常化50周年に当るが、これを記念して記念切手が発行されている。和服を着た日本の女性とチマチョゴリを着た韓国の女性があしらわれたものと桜とムクゲの花をあしらったものの2種類である。桜が日本の国花で、ムクゲは韓国の国花である。朝に咲いて夕べに萎んでしまうので「小人槿花の心、朝在って夕には存せず」(白氏文集)などと詠まれ、移り変わりが早いことの例えに用いられている。

秋あつき日を追うて咲く木槿かな 几 董
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緑のカーテン

2015年08月10日 | 日記


西側のベランダにゴーヤを植えて、西日除けにしている。数は少ないが実が成って、夏負け予防のゴーヤチャンプルーが食べられる。7月の一ヶ月の間の野菜の成長はすごい。一気にベランダの天井まで伸び、脇枝が縦横に張って二重三重の日よけができる。立秋を過ぎて、気温こそ35度前後と高いが空に変化が現れている。朝方、刷毛で刷いたような絹雲が現れて、その後薄い雲が広がった。

雑草の陰で、コウロギ鳴き声を聞いた。古来日本人は、こんな自然の微妙な変化を鋭敏に捉え、季節の移ろいに注目した。

秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる 藤原 敏行

ゴーヤの実が成ると、日は西窓を離れて直接部屋に入らなくなる。緑のカーテンの役割はもうじき終わる。西瓜やメロンに代わって、ぶどうや桃が美味しくなる。猛暑の季節も、もうじき終わる。
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磐梯山

2015年08月09日 | 登山


磐梯山には、大噴火の歴史がある。そもそもこの山が会津富士と呼ばれ、2000mを超す、富士山のような秀麗な山容であった。深田久弥の『日本百名山』によれば、大同元年(806年)大爆発を起こして、月輪、更級の2郷48村がせき止められた川で水底に没し猪苗代湖が出現した。さらに今から120年以上前、明治21年(1888)にも大爆発が起き、小磐梯が崩落した。このときの爆風と岩屑なだれにより477名もの犠牲者を出した。また、この崩落によって長瀬川とその支流がせき止められ、桧原湖、秋元湖、五色沼ほか多数の湖沼が出現している。富士山の噴火でできた、富士五湖と同じ形成過程である。

八方台登山口で、硫黄臭の強い中の湯跡を通る。明治の大噴火前にには、山頂に上の湯、と下手に下の湯があり多くの湯治客を集めていた。大爆発は湯治していた人々をも直撃した。噴火後、唯一残ったのがこの中の湯であるが、湯量が減って閉鎖、廃墟のような湯治が残っている。



中の湯から登山道は、巻道のようなやや平坦な長い道が続く。山中は所々で風が吹きぬけ、快適な山歩きとなる。何か分からないが、野鳥の高い鳴き声が山中に響きわたる。1時間と少しで、弘法清水へ出る。ここでは、売店が2つあり、飲み物や団子などを販売している。清水は冷たく、疲れた身体にしみこむようだ。

清水から広場に出ると、櫛ヶ峰と噴火口が目の当たりだ。噴火の激しさを物語るに十分である。目を左に転ずると、天狗岩が、その先には桧原湖が指呼の間である。弘法清水が4合目、頂上は5合目になっている。これも、大噴火がもたらしたものか、勾配は急だが少しだけの頑張りで頂上に着く。頂上で持参のお握りを頬張る。



弘法清水からの下りのお花畑で可憐なナデシコを見つけた。本日の参加者5名、内女性2名。この山には10年以上前に一度登っているが、櫛ヶ峰と噴火口のカールの印象は残っておらず新鮮であった。歩行8.2キロ、登り3時間、下り2時間。晴天のゆったりした山行であった。
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