常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

新庄市の花 紫陽花

2017年07月20日 | 


新庄へ行くと紫陽花がきれいだ。どこの家にも、紫陽花を植えている。この時期、もう花も終わりに近づいたが、まだまだきれいだ。市内の東山公園は、あじさいの杜になっていて、34種類45,000株が咲き誇る。紫陽花は新庄市の花になっている。新庄といえば、東根の近辺にあった小田島荘に対して新しく拓けた荘園という意味合いである。その後背になる杢蔵山などから流れてくる水は、この盆地を豊かな田園地帯とした。

新庄から連想されるのは民謡「新庄節」である。

あの山高くて
新庄が見えぬ(ハッ キッタサ)
新庄恋しいや
山憎や(ハッ キッタサ)  

ハアー
猿羽根山(さばねやま)越え
舟形越えて
逢いに来たぞや
万場町へ

猿羽山は、舟形と新庄の間にある山である。今、国道13号線は、この山にトンネルを造ってこの山を越えずに、交通が容易になっている。馬場町は、新庄の遊郭のある街である。その昔、新庄の遊郭にいる遊女に逢いに行くことを、この民謡はテーマにしている。新庄に咲く紫陽花はこの新庄節に歌われた遊女のシンボルとして見ることもできる。


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野菜を食べる

2017年07月19日 | 農作業


畑づくりの目的は、自分で作った採れ立ての野菜を食べることにある。夏野菜は採れる時期が集中する。美味しく大量に食べるには、古来自前の野菜を食べてきた先人の知恵がある。夏野菜の「ダシ」などはその最たるものであろう。朝採ってきた野菜、キュウリ、ナス、オクラ、オオバなど手当たり次第に切り刻む。納豆昆布を合せて、醤油をかけて出来上がり。冷奴にかけたり、熱いご飯に乗せると食が進む。野菜の滋養が身体に沁みこんでいくような気がする。

キュウリが毎日採れる。ぬか漬けによし、キュウリ揉みのさっぱり感も夏の食卓にはもってこいである。家の庭でキュウリを作っているお宅に行ったとき、まだ成長しきらないもぎ立てに、味噌を添えてお茶うけに出してくれた。なるほど、味噌の風味がキュウリの独特の香りにマッチする。小さいキュウリが珍重されているのも事実である。私は葉の陰にあるキュウリを見逃して、途方もなく大きいキュウリを採ることも稀ではない。しかし、このようなことは昔からあったようで、ものの本には、煮物によし、と記してある。我が家でも大きくなったキュウリは味噌汁に入れて食べる。

古い文献では、シロウリはよく出てくるが、キュウリの記述はあまりない。『養生訓』を書いた貝原益軒に『菜譜』があるが、「これ瓜類の下品なり。味よからず。かつ小毒あり。性あしく、只ほし瓜とすべし」と、キュウリの評価は低い。江戸時代、京都では、キュウリはあまり食べられなかったらしい。
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木槿

2017年07月17日 | 


木槿が咲きはじめると、秋の気配を感じる。俳句の季語では秋に分類されているし、秋風が吹くと木槿の花が盛りになるような気がする。白い花は清らかに感じられて、涼しい朝に見ると清々しい。この花が韓国の国花であることは、以前このブログで書いたような気がする。

道のべの木槿は馬にくはれけり 芭蕉

この句は、芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で詠んだものである。千利休の逸話がある。利休が時の権力者秀吉を、茶の湯に招いた。いつも利休の庭には蕣の花がきれいに咲いている。この日に限って、庭の蕣、(木槿であるらしい)が一つ残らず切り取られていた。秀吉が不思議に思いながら茶室に入ると、一輪の蕣、つまり木槿が床の間に生けてあった。庭の花がなく寂しく感じていた秀吉は、利休のこのもてなしにいたく感動した。

芭蕉はこの句の前書きに、馬上吟としている。利休のこの故事が頭にあったらしい。天下人をさえ感動させた木槿の花を、芭蕉が乗った馬が食ってしまったところ俳味があり、おかしみがある。
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杢蔵山

2017年07月16日 | 登山


今週の山行は新庄の杢蔵山である。杢蔵山は一言で言えば、新庄市民に愛される山である。隣の三角山には、新庄盆地をカバーするテレビ塔が林立し、新庄の人々は朝の目覚めとともにその雄姿を仰いでいる。この盆地を潤す水は、この山の渓谷の流れを集める戸前川。この季節でもなお手を切るような冷涼な清水である。山屋の登山口から30分ほどで、一の滝に着く。古びたお不動さんの碑が、この地区の人々の信仰の在りかを偲ばせる。

登山口で声掛けをしてきたグループがいた。頂上付近の杢蔵山荘を管理し、登山道の整備を行っている「自然を愛する会」のグループだ。手に鎌やホウキを持参し、身軽に山道へ入って行く。登山者へ気さくに話しかけ、この山の様子をさりげなく伝えてくれる。下草を刈り、流れの上に簡易の橋をかけ、崖が崩れて危険な箇所にはう回路を整備してくれている。山小屋では、雨が続いて湿った寝具を小屋の前に広げて日光に当てる。週末を利用するこのグループの無償の努力がなければ、この山の安全で楽しい登山はできない。別れの挨拶に深々と頭を下げ、感謝のしるしとする。



渓流沿いの道は、木立のなかで日影となって、暑さをしのげる。ところどころミストシャワーに風が吹き抜けるところは、暑さと坂道で疲れた身体を癒してくれる。それでも、30℃を超える気温に、汗がふき出してくる。汗かきのGさんは、汗に濡れたタオルをしきりに絞っている。七曲りの登りを過ぎ、「心臓破りの坂道」にさしかかる。山中には、ハルゼミの耳をつんざくような鳴き声が響く。約2時間で杢蔵山荘に着く。本日の参加者は7名、内女性3名。なかでもUさんは、今日の山行目的にヤマルリトラノオを見ることを目的としていた。

頂上付近で、先行していた「自然を愛する会」のメンバー下ってきて。ヤマルリトラノオが咲いているところを指し示してくれた。まだ咲きはじめといってよく、その清楚な色合いを見ると、この花を目的にここまで歩いてきたUさんの気持ちも分かるような気がした。山頂を下り、山荘の近くの広場で弁当を開く。標高900mの地点の気温は暑すぎず、吹き抜ける風がここちよい。登り3時間、下り2時間の山行は、いい汗をたっぷりと流した。帰路金沢温泉保養センターで汗を流してさっぱりする。
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2017年07月14日 | 日記


高気圧に覆われて、梅雨明けを思わせる夏雲である。昨日、シャッターチャンスを逃したが、通り雨が降って東の空にきれいな虹が立った。「夕にじは晴れ」という諺がある。西が晴れて、東が降って虹がたつので、雨が東に去って行った証拠である。これからは西の青空が広がる、という前兆、といわれたいる。その通りの晴れとなった。しかも、5日続きの30℃超えだ。暑さに、少しづつ馴れたは来たが、身体がだるい。医院に検診に行ったが、数値は改善しているものの、夏バテに注意して、口々に言われる。

虹見るやこころの虹はいつ消えし 林  翔

虹は虫編がついている。昔の人は、虹を大空にかかる大きな蛇と思っていたらしい。言語学者の検証に沖縄では、虹をナジという。沖縄のナジと、内地のニジとが結びついたもの、という解説がものの本にあった。いづれにしても、大空へ飛翔する大蛇には、人々は大いなる畏れを感じたに違いない。
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