常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

カサブランカ

2017年07月25日 | 


カサブランカはユリの女王と言われている。日本産のタモトユリや山ユリを交配させたものだが、オランダで作られたハイブリット種である。オランダでは花の名に街の名をつけること多いらしく、モロッコの都市カサブランカの名がつけられた。懐かしい映画「カサブランカ」を、思い出させる。ここ数年、知人から切り花をいただいて玄関先に飾るようになったが、今年は久しぶりに「植木市」に行って、球根を買ってきた。鉢に植えて、つぼみを持ち、咲くのもあとわずかという時、知人からまた切り花をいただいた。

カサブランカの「カサ」は家を意味し、「ブランカ」は白いこと、つまり白い家という意味合いである。たしかに花びら大きく分厚い。このユリの株が大きくなれば、名の通りの立派な花になるであろう。

ためてゐし言葉のごとく百合ひらく 稲垣きくの

カサブランのつぼみが少しづつ大きくなって、やがて大輪の花を咲かせるさまは、大事にしてきた宝物を、一気にまき散らすような大胆な行為のように思える。
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2017年07月24日 | 日記


人は孤独を感じたとき、空を見上げ、月や星、また雲を見ながら空想をたくましくする。しかし、そこで思い知らされるのは、あまりにも小さな己の存在である。まして、いつ止むかも知れない雨を降らす雲に恐怖を感じるのは、ここのところの気象の異常性によって途方もない被害を出ている昨今、その思いはいっそう大きく膨らんでいる。しかし、空に浮かぶ雲の移ろいに比べて、自分の心中の意思の強固さを示す詩もある。

 臥雲室  高 啓

夕べに臥せば白雲合し

朝に起くれば白雲開く

惟だ心の長に在る有り

雲に随いて去来せず

元末明初の詩人高啓の詩である。当時の詩人の4傑に数えられていた有名人であった。宮仕えを嫌い、権力者になびかない強い意思の持ち主であった。記憶力が抜群で、古詩の研究に打ち込んだ。時代は新しい時代に向かって乱れ、天下を握ったのは、貧農出身の朱元璋であった。洗練された都会的教養人を嫌い、詩の4傑と謳われ人々ことごとく囚われ、刑死の憂き目に会った。
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進化するスマホ生活

2017年07月23日 | 日記


スマホのアプリで、「山旅ロガー」と「地図ロイド」というのを見つけた。この二つを併用すると歩いたコースを地図上に表示できる。衛星通信を利用するガーミンのGPSと同じ機能を、スマホで利用することができる。カーナビや電子地図の普及で、地形図の世界にも変化及んでいるようだ。昨日、書店へ出かけて地形図の売り場に当たって見たが、在庫は手あかのついた古びたものばかりであった。昔の地図売り場には、広い範囲の地形図の在庫があったものだが、欲しい地形図は取り寄せでなければ入手も難しいようだ。地形図も電子化が確実に進んでいるということだろうか。

ラインは山仲間との連絡に重宝している。以前、仕事をしている時の携帯は、必ずポケットに入れて応対することが必須であったが、リタイアしてからは、携帯やスマホを持っていても、身辺にあるとは限らない。ラインやメールに入れておくことで、趣味の連絡には十分洋に用がたせる。しかも記録が残っているので、約束した日時の確認するにも便利である。昨日、孫からラインのビデオ電話が来た。新しく越したアパートの様子も、娘と孫の元気な様子も、瞬時に映し出される。こんな機能が無料で利用できるとは、時代は進化している。

スマホで利用できるのは、新しい機能ばかりではない。「青空文庫」を入れておくと、明治の文豪もロシア文学も、図書館で探すまでもなく、家でいながらにして読める。電子化された今の流行作家も、すぐに購入できるし、電子リーダーで読むことができる。掌サイズのスマホに、図書館なみの空間がある。情報過多ということもしきりに言われるが、スマホのなかの貴重なものを選び、自分の血肉としていくことが大事になる。
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山ユリ

2017年07月22日 | 


今日は天候が不安定のため西吾妻への山行を中止した。かわりに、千歳山に足馴らし。暑さにも身体が少しづつ耐性を得つつあるような気がする。山中で行きかう人は、手に手に団扇を持ち、あおぎながら歩いている。全山が山ユリの花盛りだ。ユリの香りが、登山道にたちこめている。

起ち上る風の百合あり草の中 松本たかし

ユリの香りにはどこか艶めいたあやしさがある。漱石の小説『それから』にも、白ゆりの花が出てくる。小説の主人公代助は、友人の平岡に金の工面をするが、その礼に妻の三千代が、ユリの花束を持って代助の家を訪れる。

「代助は椅子から立ち上がった。眼の前にある百合の束を取り上げて、根元を括った濡藁を挘り切った。「僕に呉れたのか。そんなら早く活けやう」と云ひながら、すぐ先刻の大鉢の中に投げ込んだ。茎が長すぎるので、根が水を跳ねて飛びだしさうになる。代助は滴る茎をまた鉢から抜いた。さうして洋卓の引出しから西洋鋏を出してぷつりぷつりと半分ほどの長さに剪り詰めた。さうして、大きな花を鈴蘭の簇がる上に浮かした。」

明治の女性、それも既婚者が、独身の男性に百合の花を贈る場面である。今では花を贈るのは、よくあることだが、それでも花を異性に贈るのは、どこか恥じらいを感じる。男性が、花をを貰い、自分で不器用な手つきで花を活ける、というのはよほど稀なことであったろう。漱石の小説は、それほど近代を先取りしていたことが、この一場面で知ることができる。姦通罪を定めた法律が施行されたのは、明治41年である。『それから』を書いた漱石がこの罪を意識していたのは、言うまでもない。


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稲作の起源

2017年07月21日 | 日記


やたらに暑い日が続く。今日は、山形市で今夏4度目の猛暑日となる。日差しが強くなって、元気を出すのは稲である。苗の分けつが進み、背丈も高くなった。広い面積になった田が、山麓の村で美しい姿を見せている。稲作が日本に伝わったのは、2000年以上も前と考えられている。元来、熱帯地方の原産である稲が、温帯である日本に根付くのは、一旦中国の温帯地域に伝わり、その環境に耐えた品種が朝鮮を経由日本に伝わってものであるらしい。

古代米が赤米であったのは周知のことだが、祭りなどの祝事に供される赤飯にその面影をとどめている。天皇陛下の生前退位が実現することになったが、新天皇の即位後の大嘗祭では、その年の秋に収穫された新米を祖先の霊とともに食べて、天皇霊を見に着けるための儀式が行われる。

『古事記』に稲にまつわる神話がある。須佐男命が高天原から出雲の国へ赴く途中、大気都比売に食べ物を乞うた。比売は、鼻や口や尻からご馳走を出して饗応した。須佐男は、これを見て汚いと思い、比売を殺してしまった。殺された女神の死体からは、頭から蚕、両目に稲、両耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生った。天照大神は、このものは、一般庶民が食すべきものと述べた。

稲作の伝来とともに、縄文人たちは稲作を受け入れ、日本全土に稲作が広がっていく。支配と被支配の関係があるもの、縄文人たちは弥生人へと変貌していった。
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