常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

紫陽花

2017年07月05日 | 日記


雨上がりの紫陽花は、ことのほか美しい。それほど雨や水とこの花は似合っている。文学作品にも、紫陽花をモチーフに多くの作品が書かれてきた。泉鏡花の『紫陽花』も、小説のクライマックスに紫陽花が登場する。この掌編に登場するのは、10歳ばかりの氷り売りの少年と腰元を連れた年かさの貴婦人の3人である。少年は氷室から出した氷、実は雪の固まりを筵に包んで、それを天秤にかけて担いでいる。年端のゆかない少年には、荷は重くよろけるようになりながらも、「氷や、氷や」と叫びながら、市へと走っていく。冷蔵庫などない、明治の世である。

その少年の前に日傘を杖のかわりして歩く貴婦人が、後ろから傘をさしかけさせて現れる。暑さのためによほど喉が渇いたのであろう、「あの、すこしばかり」と少年に声をかけた。少年は筵をほどき、氷の固まりを鋸で切り取った。ところが、出かけに継母が渡した鋸が炭を引いたままであったので、氷には炭の粉がついて真っ黒である。少年が何度もやり直しても、氷は黒いままだ。暑さのために氷はみるみるうちに融けていく。

貴婦人は、待ちきれず「さ、おくれよ。いいのを、いいのを」と急かせる。少年は残った氷をさし出した。貴婦人が「こんなのじゃあ」と言って払いのけると、少年は怒ったように貴婦人の手を掴んで、小川の辺に連れていく。少年は、流れに炭で黒ずんだ雪を洗い、水晶のようになった氷のつぶを貴婦人に見せて「これでいいかえ」と言った。貴婦人は「堪忍おし、坊や、坊や」と
言いながら、気を失って絶え入る様子である。腰元がかけよって「御前さま、御前さま」とすがりついた。

気を失いかけている貴婦人の口へ、少年は雫のような氷を含ませた。その貴婦人は、少年に淋しい笑顔を見せたが、ひともとの紫陽花の色がその顔にうつりこんでいた。貴婦人がその後、蘇生するのか、はかなくなってしまうのか、その結末は書かれていない。
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2017年07月04日 | 源氏物語


今住んでいるところへ、越したのは40年も前のことである。当時、家の周りには、店もなく田圃が残っていた。朝、ケーン、ケーンと鳴く鳥の声で目が覚めた。その鳴き声は雉が、雌を呼ぶ声で、夜になると田のなかに蛍が光を放って、やはり雌に合図を送っていた。散歩がてら、蛍を捕らえて家に持ち帰り、子どもたちに見せた。夏休みキャンプで沼の辺に出かけ、そこでも蛍を見ながら子どもたちと楽しんだ記憶がある。それから長い月日を経て、蛍は観光地の蛍狩りでも行かなければ見ることはできない。

声はせで身をのみこがす蛍こそ言ふよりまさる思ひなるらめ 玉鬘

源氏に寵愛される玉鬘は、夕顔と頭中将との間に生まれた姫である。夕顔は、源氏の友人でライバルでもある頭中将の愛人であることを知らずに深い中になるのだが、六条御息所の嫉妬心から生まれる生霊の取りつかれ、源氏との逢瀬の間に、息を引き取ってしまう。源氏はその娘に恋焦がれるのだから、その色好みがいかに異様で、玉鬘を惑わせることであるかが知れよう。

京に来て源氏に引き取られた玉鬘には、その美貌ゆえ言いよる男もたくさんいた。兵部卿の宮もその一人。その仲を進行させたくない源氏がはかりごとをめぐらす。姫の几帳の側まで来て言い寄る宮。源氏は昼にたくさんの蛍を捕らえ、薄い布に包んで光が漏れないように隠しておいたのを、その場所へさっと撒きちらした。突然きらめく光に姫は驚き、その横顔は息をのむほどの美しさであった。玉鬘が詠んだ歌は、その蛍に託した宮への答えであった。
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若葉

2017年07月03日 | 日記


空梅雨から、いよいよ梅雨らしい雨が始まった。昨夜など、夜通し雷がなる。雨を欲しがっていた野菜たちも喜んでいることだろう。文豪の作る俳句を読む?ことが好きだ。読むというべきか、多分私には、見るということの方がふさわしいだろう。

若葉して手のひらほどの山の寺 漱石

漱石は文学をかたわら漢詩にも非凡なところを見せたが、俳句は友人の子規の影響が大きい。句を作っては子規に見せ、褒められることをモチベーションにしたようなところがある。山のなかの寺が、手のひらに乘るほど小さく見える、作者の視線の動きを、子規は褒めた。子規が俳壇にある人物の二字評ということをしている。鳴雪 高華、碧梧桐 洗練、虚子 縦横、という塩梅だ。因みに漱石は活動、と評されている。また、見立てというのも座興にした。

漱石を見立てて渋柿。「ウマミ沢山、マダ渋ノヌケヌモノモマジリアリ」と注している。漱石は友人のこうした指摘を面白がり、自分が作った句によいものがあれば、積極的に褒め給え、と注文をつけた。これの応えて、子規は◎を多く付けて返し、漱石はさらに多くの句を送る、という風で、俳句を通して二人の友情はいっそう深まっていった感がある。
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家族

2017年07月02日 | 日記


家を離れて、学生となり一人暮らしを始めたころ、父母は遠い地から畑で採れたメロンや野菜を送ってくれることがあった。当時は空腹な生活を送っていたにもかかわらず、食への関心も薄く、父母の心遣いに感じ入るということはあまりなかったような気がする。自分で野菜作りをするようになって、子や孫に採れたてを送って喜ぶ声を聞くと、顧みて自分の青春時代は心が家族から離れていたように思う。関心は自分が生きていく道を切り開くことで、家族や故郷は二の次であった。日本の戦後の高度成長は、こんな心の構造の若者を多く生み出した時代であったように思う。

東日本の大震災で、家族や絆ということが見直された。しかし現実は、都会の片隅で孤独死していく人は増えていく一方である。孤独死というものが、これほど普通のことになってくると、従来の死生観の変更を余儀なくされる。今日は詩吟の会の、吟詠大会が開かれる。構成吟で選ばれたテーマは「子を思い、親を思う」、つまり家族に関する詩を特集して吟ずる。時宜を得たテーマであるように思える。山上憶良から暁烏敏まで、11人の詩人の詩が選ばれている。その中で頼山陽が一番多いが、私が注目しているのは、文化・文政から幕末を生きた歌人・橘曙覧の独楽吟である。

たのしみは 妻子むつまじく うちつどひ 頭ならべて 物をくふ時 橘曙覧

曙覧は本居宣長の国学の風を慕って歌の道に進み、清貧のうちに国学者としての気概を貫いた。心の内面を重視し、国学者の実践者として清新な心の歌を詠んだ。なお、構成吟の最後を飾るのは僧にして哲学者暁烏敏の歌である。

十億の人に 十億の母あるも わが母にまさる母あらめやも

この歌を聞きながら、上野動物園で子を産んだシンシンをふと考えた。あの大きな体で、手に収まる子パンダを、一刻も離さずに、守っている姿は、やはり母の鑑というべきではないか。
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ズッキーニ

2017年07月01日 | 農作業


ズッキーニの初もぎ。一年のあいだずっと続けるきびしい農作業は、この瞬間に目的が果たされたような気がする。種から植えて、ようやく実をつけるまでに成長した。この野菜の今年は、どんな条件が待っているか予測することはできない。元気そうに見えても、大雨で一夜のうちにダメージを受けたり、ウィルスにやられたり、順調に収穫するにはこれからも気が抜けない。

イタリヤでよく食べられる野菜でトマトとの相性がすばらしい。このぐらいの大きさのものは皮ごと調理する。栄養が多く含まれていることは言うまでもないが、その風味が好まれる。スパゲッティのソースにすれば、そのおいしさに驚く。
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