常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

秋の色

2017年09月25日 | 日記


金木犀は突然に咲く。きのうまで、小さかった花芽が、黄金色に輝き、強烈な芳香を放つ。遠くにいても、あ、金木犀が咲いたと知らせてくる。香りの方角に進めば、黄金色の花が青空のもとに浮かんでいる。漢名は丹桂。丹は橙黄色の花を表し、桂はカツラではなくモクセイ類の総称である。木の皮がザラザラとして、犀の皮に似ているから、この名が付いたらしい。

木犀を歴訪すべき散歩かな 相生垣瓜人

金木犀の香りに誘われて、棚田のある旧年金センターの裏道を歩く。台風が通り過ぎて行ったが、リンゴ園では落果もさしてなく、フジがたわわに実をつけている。ザクロの実、柿モミジ、そして稲刈りの始まった棚田には、稲を干す杭に人形のような姿の稲が懐かしい。一歩、歩を進めると、秋の色が満艦飾である。散歩のあと、冬に間に合うようにキャベツの苗を定植し、大根の種を蒔く。隣近所では、大根はとっくに芽を出し、大きく育っているのが気にかかる。

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葡萄

2017年09月24日 | 漢詩


葡萄がおいしい季節である。最近、品種改良が進み、多くの高級品種が生まれている。詩吟で吟じる詩に「涼洲詞」があるが、初句に「葡萄の美酒、夜光の杯」とブドウ酒が出てくる。葡萄は漢代に西域から中国に入ってきたものだが、涼洲は今の甘粛省で、その西域と境を接している。夜光の杯は恐らくワイングラスであろう。初めて葡萄を食べた中国の人々は、異国の珍果を喜び、それで醸造した酒に異国情緒を味わった。

明の李夢陽に「葡萄」とその名もずばりの詩がある。

万里の清風雁過ぎる時 

緑雲玄玉影参差たり

酒酣にして試みに氷玉を取りて噛めば

天南に茘枝有るを説くかず

玄玉は葡萄の黒い玉。緑の葉陰にびっしりと葡萄に玉が並んでいる。氷玉は清らかでつやのある玉。ここでも葡萄をさしている。茘枝は南方特産の果物で、かの楊貴妃が好み、華南省から早馬で運ばせたことで有名である。葡萄はその茘枝とも比べものにならないほどおいしいと絶賛している。
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赤い実

2017年09月22日 | 日記


近くの公園に赤い実をつける木が植えてある。赤い実は、紅葉とともに秋を実感させる。秋晴れの青空に、赤い実が映える風景はのどかで、子どもの頃の故郷を思い出す。色々の種類の木に赤い実をつけるので、なかなかその木を特定することはできない。モチノキ、ウメモドキ、ナンテン、オオカメノキ、アオキ、センリョウ、マンリョウ、ざっと上げても、秋に赤い実をつける木はこんなにもある。

公園の木をネットで詳しく調べてみると、どうやらこれはサンゴジュであるらしい。但し、この木は千葉あたりが北限で寒冷地には育ちにくい木、との注釈もある。ただ、このところの温暖化で、公園などに植樹されたのではと、推測している。常緑樹で、葉が照葉樹らしいこと、実の形がやや楕円形であること、などサンゴジュの特徴を備えている。

赤き実の珊瑚樹籬刈られけり 塩谷津留子
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秋の田

2017年09月21日 | 百人一首


この秋は残暑というものがない。散歩の道で、キリギリスやコウロギの鳴き声が聞こえ、田の稲穂は実が入って次第に垂れ始めている。あれほど目を楽しませてくれた、青々ととした田も黄金色へと変わりつつある。稲の上には、雀除けのテープがはためいている。スズメは利口で、稲が次第に熟して、一番おいしい時期を待っている。

秋の田の仮庵の庵の苫を荒みわが衣手は露にぬれつつ 天智天皇

百人一首の冒頭におかれた天智天皇の作とされる歌である。天皇が稲刈りをするのか、という単純な疑問がわいてくる。万葉の時代にも、稲をねらう鳥やイノシシなどがいたらしく、稲刈りの時期には臨時の番小屋を立てて、見張りをしていた。苫はスゲやカヤで編んだムシロ、もしくは菰。その編みが目が荒い苫であったので、番をしている主人の袖に露が降りてくる。仮は刈るをかけ、露は農作業の厳しさを悲しむ涙を連想させている。

秋田刈る仮庵作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きける 万葉集巻10・2174

万葉集に収められている歌である。この歌の前後には、秋田のほか萩、白露を詠んだ歌が並んでいる。万葉研究家の伊藤博博士によれば、農作業を終えて、主人の家に集った宴席での歌であると指摘されている。百人一首の歌は、この歌が唄い継がれていくうちに変形、洗練されついに天皇の作とまで言われるようになった。当然、天皇の作とは考えられていない。この歌は、平成30年度日本詩吟学院の優秀吟コンクールの課題吟になった。
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コスモスロード

2017年09月19日 | 日記


まだ少し風が残っているが、北海道から帰ってきて、ようやく朝の散歩に行く気力が戻ってきた。風に吹かれながらも、コスモスは大輪の花を咲かせている。畑の手入れににも、少しづつ時間がとれるようになった。しばらく取らなかったオクラは、大きなナイフのようになっていた。モロヘイヤと赤いトマトが、そこそこ収穫できたので、野菜畑を作った甲斐がある。

喜寿なれや語り尽くさむ秋の雨 よしお

先日のクラス会に出席された恩師からのハガキが届く。筆でその日に詠んだ句が認められてあった。楽しい一夜の再開の余韻が甦ってくる句である。先生は、東北大学を卒業されて、最初に赴任されたのが、わが母校である深川西高であった。初めて立った教壇で、自己紹介がわりに歌を歌った。「妻を娶らば才長けて、見目麗しく情けある」と、学生仲間で歌った歌だと、述懐された。授業を切り上げて、運動場で野球をしたり、近くの山を散策することも稀ではなかった。先生と生徒という関係よりも、すぐ上の兄という雰囲気の、新任の先生であった。
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