常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

台風一過

2017年09月18日 | 日記


午後3時ころになってようやく風がおさまってきた。雨はそれほど降った形跡もない。空にはお青空がのぞいている。散歩に出かけると、庭の花たちは、風に吹かれて大きく傾いている。日本列島を縦断するような台風であったが、この地方では強い風が吹いたものの、雨の量も少なく大きな被害は出ていない。

やはらかき陽をまぶたにす台風過 石川 桂郎

宮沢賢治の『風の又三郎』で、転校してきた三郎は、皆と遊ぶようになったが、川で鬼ごっこをしているうち雨になり風が吹いてきた。その夜、まるで台風のような風が、村で吹き荒れる。

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも、吹き飛ばせ
すっぱいくゎりんも吹き飛ばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう

家の前の栗の木の列は、まるで風と雨で今洗濯をするとでも云ふ様に烈しくもまれていた。空の雲はけわしい灰色をしてどんどん北の方へ飛ばされて行く。こんな風の中を一郎は学校へ行って、風で散らかった校内の掃除をした。そこで、先生から三郎が、さよならも言わず転校して行ったことを知る。「やっぱりあいづは風の又三郎だったな。」と一郎は独り言した。

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敬老会

2017年09月17日 | 介護


昨日、義母の入所する施設で、敬老会があった。100歳を超える長寿の人が3名、義母と同じ白寿が4名、そして卒寿の人が6名で、花束と賞状が贈られた。いずれも女性であった。義母は、このところ体調もよく、食欲旺盛だ。週に1度は顔を見に行くが、娘夫婦を見ると大よろこびをする。手を握り、さするようにして、「来てくれて、うれしいよ」と同じ言葉を何度も繰り返す。敬老会は飲食などの催しはないが、民謡会の慰問演奏があった。8名ほどの大黒さんが、舞台に上がり、元気のいい「大黒舞」が舞われる。義母は、拍子に合わせて首を振り、手を叩いて、踊りに合わせる。「うれしい、うれしい」と敬老会のイベントに大満足。施設からは、昔着た着物を着てはと、提案されたが、着付けや用便を考えて、着物で縫ったワンピースで参加させた。

それにしても9月は忙しい。義母の敬老会のほか、農園の仲間たちとの芋煮会、詩吟の講習会などなど、北海道旅行が挟まって、スケジュール管理がおぼつかない。やはり寄る年波には勝てないということか。旅行の疲れはまだすっかりとは取れていない。
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雲の上

2017年09月16日 | 旅行


千歳空港から山形空港までのフライトは、約1時間、FDAの小型機である。帰路、千歳空港で時ならぬ雨に見舞われた。空は真っ黒な雲に覆われ、大粒の雨が空港の滑走路にたたきつけるように落ちてきた。バスからタラップに登るのだが、サービスの人たちが傘をかかげ、飛行機の雨除けまでわずか数10㎝の隙間しかないのに、それでも雨に叩かれて、ワイシャツがたちまちに濡れた。着陸してくる飛行機を待ちながら、離陸が10分ほど遅れ、その間に雨が上がった。離陸後、数分で雲を突っ切り、たちまち雲の上に出る。青空が広がり、突き抜けてきた雲が、積乱雲であったことが目視できる。小型機であるが、飛行は安定している。

それにしてもこの4日間を、何と表現すればよいのか。5年ぶりに会う兄弟と甥、姪、10年ぶりに会う旧友と恩師、高校を卒業して始めて会う顔。一晩世話になり、妻を亡くしたばかりの友人は、その来し方を、読んできた大切な本にふれながら、口をつくように、時間を忘れて語った。こんなに、自らの生きざまについて、長い間話しあったのは、長い人生ではじめて経験であったような気がする。クラス会に出てきた人たちは、元気な人ばかりだが、そのかげには、毎回参加しながら、亡くなったり、体調を崩して参加できなくなった人もいる。喜寿を迎え、これからは何が起きるか予測できない年代に達している。それだけに、会うことが、とても大事になっている。



今回の北海道の旅で得たものが二つある。20年近く続けてきた詩吟を、旧友たちに披露できたこと。吟題は吉田松陰「親思ふ」、優秀吟コンクールで吟じたものだ。酒の席で、話が弾んでいたが、会場に吟声が響くと、一瞬静まって、吟を聞いてくれた。そこそこ、詩吟が人々の耳に達することができたように感じて、吟じながら感動を覚えた。

二つ目は、ラインの友達が3名増えたことである。ラインは若者のものと思っていたが、スマホの所有者が5名ほどおり、喜寿になってもSNSでコミニュケーションをとれることが分かった。こちらでは山登りや詩吟の仲間と、気軽にラインで連絡を取り合っているので、その輪が北海道の旧友の間にまで広まったことがうれしい。来年のクラス会はもう日程も決まった。まだ参加の約束は表明していないが、それまでさらなる健康の精進が必要になる。
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定山渓

2017年09月15日 | 旅行


5年ぶりの北海道への旅である。定山渓温泉へ2泊、生き残った3人の兄弟が、最後に会うことになるかも知れない兄弟会と、10年ぶりになる高校時代のクラス会に参加するためである。飛行機を降りて北の大地に立って先ず感じるのは、木々や草花、蕗、イタドリなど植物たちが放つ、北海道独特の雰囲気だ。そうした自然に抱かれて育ったものには、何とも言えない懐かしさがただよう。時間がすっと逆戻りするような感じだ。人々が話す言葉のトーンもまた、自分の子ども時代に身についたものである。他郷にあって、もう故郷に住んだ3倍もの時間を過ごしているのに、いまだに故郷の懐かしさを感じるのは、生まれたばかりの生命が、まずその環境に馴染むことで、生きることを学んでいくことに関係があるのであろう。



一泊目の宿は、「森の謌」。部屋からは、山に抱かれるように立地している温泉街見える。そして、渓谷には豊平川が流れ、温泉街にアクセントをつけている。閑静で、きれいな室内。そして湯量の豊富な温泉。海の幸、どれを食べてもおいしい料理。兄弟とその子どもたちの、こじんまりとした会には、もってこいの宿である。卒寿をむかえた姉のお祝いを兼ねていた。10人をこえる兄弟のなかで、生き残ったというべきか、生かされているのか、いずれにしても健康であればこそここまで来れたのであろう。「カラマーゾフの兄弟」のように小説の題材になるような事件に遭遇こそしなかったが、生きるための荒波の道をこえて、この3人は生きてきた。

おとうとは酒のみながら祖父よりの遺伝のことをかたみにぞいふ 

うつせみのはらから三人ここに会ひて涙のいづるごとき話す  斉藤 茂吉

北海道は季節が早くまわっている。公園や川のほとりのナナカマドの実は、はや赤く色づいている。山は青々としているものの、岸辺の紅葉もきれいな色づきが始まっている。



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カメラ修理完了

2017年09月09日 | 日記


メーカーの修理部で不具合になったカメラを検査して見積を貰いながら、修理するのだが、修理代があまりに高く断念しようとも思ったが、愛着もあったのでシャッター部分だけの修理にし、昨日カメラが帰ってきた。カメラの操作も、マニュアルを再読しながら、あらためて色々な撮影モードを試して見た。見た目には、映像のシャープさは、修理前よりよくなったような気がする。北海道旅行の前に、戻ってきたのは幸いであった。幹事の山本氏とラインのやり取りができるようになり、改めて便利さを実感している。

旅行の前に読んでいるは、更科源蔵『北海道の旅』、日本随筆紀行『北の街はリラの香り』、丸木俊『女絵かきの誕生』などである。更科源蔵の北海道の紹介は面白く、何度読んでも飽きることがない。神居古潭の項に、古い神話が紹介されている。

  昔、この近くの山に住む魔人が、ここで川を堰止めて、川上の人間に魚が行かないように
 しようと、山から大岩を転がりおとして、岩の簗をつくりにかかった。これを知った文化神
 サマイクルカムイが駆けつけ、山の神熊の加勢を得て、岩の簗を打ちこわし、魔神との間に激
 しい争いがつづき、追いつめられて魔神は山の砦から石狩川岸に跳びおりて逃げようとした
 ところ、、石狩川岸の泥にぬかって這いまわっているところを捕えられて、ついに文化神に
 首をはねられ、その首は川向いに飛び、さすがの魔神も再び生き返る力を失って、岩になって
 しまった。

更科は、この神話は川の漁業権をめぐる、この地の先祖と異民族との闘争史であったと、推察している。私は小学生4年生になって、小学校の遠足で、神居古潭のつり橋まで行った。その時の記念写真はいまだに所有している。一日歩き疲れて、家に帰って眠ると、翌朝まで寝入ってしまったことを覚えている。せいぜい10㌔ほどの道のりであったように思うが、小学生の足には過酷なまでの遠足であった。
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