今年の山菜は、コゴミ、ワラビ、アケビの芽、ヤマニンジン、タラの芽、コシアブラ、アイコなどほんの少しずつ食べた。どの山菜も春を感じさせてくれ、食卓に彩りを添えてくれる。春を待つ、というより、「もうワラビが出たの?」と驚かれるような早い春の訪れであり、初夏が足早に迫っている。ふと気づくのだが、山菜採りに行った人から、お裾分けしてもらうことが多くなった。以前はウドなど持ちきれぬほど収穫して、好きな人に分けて歩いたものだ。水上勉に『土を喰う日々』というエッセイがあるが、その4月の章に、山菜を食べる歓びが書かれている。
「この季節は、たらの芽、アカシアの花、わらび、みょうがだけ、里芋のくき、山うど、あけびのつる、よもぎ、こごめなど、わが家のまわりは、冬じゅう眠っていた土の声がする祭典だ。収穫したものを台所へはこんで、土をよく落とし、水あらいをしていると、個性のある草芽のあたたかさがわかっていじらしい気持ちがする。ひとにぎりのよもぎの若葉に、芹の葉に、涙がこぼれてくるのである。」
収穫した山菜は、テーブルの上に新聞紙を敷いて、仕分けや始末をする。固い部分やごみを除き、食べる部分を集める。その時点で、山菜の手触りや、放つ芳香ですでに山菜を食べた気になる。口のなかに広がっていく山菜の香りに、しみじみと生きている歓びを感じる。
ひとびとの言葉しづかや初蕨 八木林之助