この頃、自分の年齢を告げると、「若いですね」と言われることが多い。確かに昔の同窓会などに出席すると、若い時代の俤を失っている人が多くなっている。自分が若くいられるのは、会社勤めをしていた頃から、生活にウォーキングを取り入れたためと思っている。若いと言われてつい頭に浮かぶのは、サムエル・ウルマンの詩Youth(青春)である。この詩に初めて出会ったのは、20年ほど前に、詩吟の大会である先生が朗吟したのを聞いた時だ。
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
サムエル・ウルマンは、ユダヤ系のアメリカ人でユダヤ教の協会を作り、アラバマ大学の設立にも尽力した教育者でもあった。金物店を経営する民間人であった。この詩が日本に紹介されたのは、戦後、日本に進駐した米軍の元帥、マッカーサーの愛唱詩であったことによる。GHQは皇居前の第一生命ビルに置かれ、元帥の執務室にはこの詩のコピーが貼られ、日々愛唱したという。
終戦後、日本の出版がままならない時代、アメリカの雑誌「リーダーズダイジェスト」の翻訳が出回っていた。ここにこの詩の英文が掲載されると、これを読んで日本でもこの詩に感動する人が、静かに広がっていった。詩の翻訳をしたのは、羊毛工業の経営に携わった岡田義夫という人であった。彼も元帥がしたように自分の翻訳した詩を事務室の壁に貼りだしていた。それを見た同窓の米沢高等学校の校長が見つけて書き写して、学校で紹介したという。新聞でそれが紹介されたりするうちに、口づてに広がりを見せ、財界に「青春の会」なるものまでできていった。
真の青春とは
若き
肉体のなかに
あるのではなく
若き
精神のなかにこそある
サムエル・ウルマンがこの詩を書いたのは、1918年で彼が78歳の時であった。ウルマンの80歳の誕生日には家族、友人、知人が集まって盛大なお祝いのパーティーが開かれた。この席で披露されたのが私家版の詩集「80年の歳月の頂から」である。Youthももちろんこのなかに収録された。
ところで、このウルマンの詩は、マッカーサー元帥が持ってきた詩とは違っている。原詩は何人も人の手で改変が行われいたのだ。これを見つけたのは、あの「千の風になって」を作詞・作曲した新井満氏である。原詩にはwireless station、wiresというフレーズがあるが、これがマッカーサー版からは抜け落ちている。新井氏が指摘するのは、このwireless station(無線基地)とwires(電線)とタイタニック号の遭難事件とのかかわりである。
さあ
目を閉じて
想いうかべてみよう
あなたの心のなかにある
無線基地
空高くそびえ立つ
たくさんの
光り輝くアンテナ(新井満訳)
遭難事件が起きたのは1912年、ウルマン62歳のときだ。乗船していた人2,208人、水死者1,513人。最大の海難事故である。しかし助かった人が695人いる。この人たちの命を救ったものこそwireless station(無線基地)であった。2,400㌔離れた大西洋上から、この事故をニューヨークまで伝えてきた。ウルマンが伝えたかったメッセージはこの新技術によって勇気と希望を持ち、困難に負けず生きることであった。
アンテナは
受信するだろう
偉大な人からのメッセージ
崇高な大自然からのメッセージ
世界がどんなに美しく
驚きに満ちているか
生きることが
どんなに素晴らしいか(新井満訳)
この誕生パーティーの4年後、ウルマンは永眠した。青春のなかにある家族や世間の人々へ、ウルマンが伝えたかったことは、心のアンテナを立てて命のメッセージを受け取ることであった。いま、通信技術がここまで発達して、世界中からメッセージを受け取ることはウルマンの時代とは比較にならないほど容易になっている。若き精神は、この時代のテクノロジーによって取り入れることが約束されている。ただ、アンテナを張る意思を持つものにだけ許された約束である。