里山の緑が、日々に新しい景色を生み出していく。そのなかに咲く山桜が、ぽつんぽつんと咲いて風情をかもしだす。ツツジが咲く前の早春である。ワラビやコゴミなど、春の味も懐かしい。
石激しる垂水の上のさわらびの
萌え出づる春になりにけるかも 志貴皇子(万葉集巻8)
志貴皇子といえば、天智天皇の第七皇子である。歌の題字には「よろこびの歌」となっている。わらびが春の訪れのシンボルとなったのは、貴賎を問わず
春の味覚として珍重されたのであろう。万葉集では、春の野に立って叙景の歌を詠んだのではない。天武天皇の第四皇子、長皇子との宴の席の歌であったと解説本にある。新しい奈良の都を寿ぐ宴で、さわらびの伸びる春の躍動と、王朝の隆盛を謳いあげたものと読める。
『源氏物語』に「早蕨」の巻がある。父八の宮、姉君を亡くし、鬱々とした日を送る中の君のもとへ、籠の盛られた早蕨が届いた。送り主は父が帰依していた阿闍梨。「これは寺の童たちが摘んで仏に供えた初物でございます。」という手紙が添えてあった。
この春はたれにか見せむ亡き人の
かたみに摘める峰の早蕨
中の君が返しに詠んだ歌である。励まし合って生きた来た姉の亡きあとの悲しみが伝わってくる。