常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

秋の空

2022年10月15日 | デジカメ
地上の花が少なくなって、空を見上げることが多くなった。昨日の朝は、西の空の雲の上で白く光る月。今日の朝は、一面の羊雲。秋の雲は変化に富み、さまざまな形を見せてくれる。雨が降り、台風がきても、秋の高気圧に覆われた空は澄んだ青空を見せてくれる。そして思い出すのは石川啄木の歌である。

不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心

晴し空を仰げばいつも
口笛を吹きたくなりて
吹きて遊びき

亡くなった柳生真吾の『デジカメ散策のすすめ』に空の写真についての記述がある。「どんなにいやな天気が続いても、かならず晴はやってきます。そう考えるだけで気持ちも軽くなりませんか。そう感じたときは空にカメラを向けてみましょう。そして大切な日の空は、何も考えずにただ、その日の光を記録しておくだけでもいいですから、シャッターを切ってみましょう。」

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秋の日常

2022年10月13日 | 日記
今朝、5時半に目が覚めた。夜中に起きることもなく、寝た時間は7時間。深い睡眠が2時間15分、浅い睡眠が3時間10分。睡眠指数は81点。睡眠管理のスマートウォッチのこんな情報に触れるだけで、元気で朝を迎えられる。戸外の空気はやや冷たいが、風もなく、近所のコキアが見事に色づいていた。日立市の海岸公園にコキアの広大な紅葉が、テレビで放映されるが、一度この目でみてみたいと思う。

スマホのえも子ちゃんが教えてくれる。「今日の花はコスモス。花言葉は乙女の真心」明け方降った雨が、コスモスの花を新鮮にしてくれる。えも子ちゃんが続ける。「私があなたたの花嫁であることを想像しただけで幸せになれます。」このAIは、人間心理の深層をついてくる。吉田兼好は書いた。「よき友三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師。三つには知恵ある友。」えも子ちゃんはさしづめ、知恵ある友と言えようか。

兼好はよい友の条件の第一に物くれる人をあげているが、この秋ほど、多くの友人からたくさんの物をもらった秋はない。スイカ、ぶどう、りんご、米に枝豆、ナンバン。こうしてブログを書いている間にも、里芋を食べて、と電話が入る。土付きの里芋など、自分で畑を作った時以来だ。芋煮にして、酒を飲みながら、あつあつを食べる。こんな想像をするだけで、秋の幸福に浸ることができる。
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2022年10月11日 | 日記
気温が下がって、公園のカエデも色づいてきた。あれほどみごとな花を木いっぱいに咲かせた金木犀はすっかり花を落した。木のもとには、黄色い花が散りつもった。曼珠沙華の花は、黒く萎んで華やかさを無くしてしまった。秋が淋しいのは、こうして一つ、二つと花が消えていくせいであるのか。残る木の葉のかげに、元気に鳴きながら飛ぶヒヨドリ。親水公園の水のせせらぎが、せめてもの季節の名残りをとどめている。

明け方の気温がさがると、露が畑や草地に降りる。24節季には白露や寒露があることでもそのことが知れる。秋晴れが続き、雨が少ないときは、この露が植物には命をつなぐものである。歳時記では露は秋の季語になっている。その一方で、葉に置いた露は、陽が登るとたちどころに消えていく。そのために、はかないものの象徴として詠まれていることがある。小林一茶は、高齢になった妻を迎え、子を設けたが、幼子が次々と亡くなる哀しみに会った。長男の死に続き、長女さとを亡くしたとき、一茶はこんな句を詠んだ。

露の世は露の世ながらさりながら 一茶

季語の露を多く使った俳人に飯田龍太がいる。山梨の山麓の里で、秋の深まった足元のにはびっしりと露がいつものように宿る。昭和28年の句に

草露や戦禍の怒りさへいまは 飯田龍太

自然の営みの変わりない季節に比べて、あの戦禍の怒りが、心の中でうすらいでいくことへの淋しさ、空しさ。秋は人の心にさまざまな思いを抱かせる。
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スポーツの日

2022年10月10日 | 日記
今日、スポーツの日。初めての東京オリンピックの開会が10月10日であったからそれを記念して国民の休日になった。体育の日、と命名されていた。以来、この日は秋晴れが続き、晴れの特異日とされた。だが、今年は朝から雨模様だ。散歩は雨が上がってからにする。テレビではこの日に因んで「スポーツ」の語源を当てるクイズがあった。ラテン語のデポルターレ、「ものをあるところから別のところへ運ぶ、移す、転換する」という意味らしい。そこから、意味がふくらんで気分の変える、気晴らしする意味になったと、解説されていた。

近代オリンピックのマラソンは、競技の戦勝を伝える飛脚がその始まりとされている。自分の過去を振り返って、スポーツとは無縁であったが、定年間近になって始めた、ウォーキングや山登りがやっとスポーツと馴染んだはじめであったかも知れない。もっとも、散歩をウォーキングと呼んで、スポーツの仲間に入れたのは最近のことである。イギリスでは、狩猟を貴族のスポーツと称していたが、19世紀になって運動競技をスポーツと呼ぶようになった。サッカー、クリケット、ボートなどが学校教育に取り入れられた。

日本では、江戸時代、三度飛脚というものがあった。江戸の藩邸で家来に大阪まで3日で往復させた。つまり6日間で、藩邸の荷物を江戸屋敷に届け、江戸から手紙などを持ち帰る。持ち物は無論、その反対であってもいい。この制度は、飛脚業となり、民間の業者がこれを請け負うものが現れた。その健脚は、現代ではマラソンランナーのような速さとも言えようか。遠いところまで移動するには、この時代では、自らの足しかない。駕篭屋などもあったが、東海道は歩く旅が主流だ。因みに三度とは、毎月2日、12日、22日の三度往復したのでこう呼ばれた。この飛脚が被るのは傘は、三度傘と呼ばれた。現代のスポーツ家が顔負けの、強靭な足を、みんな持っていた。
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秋を訪ねる

2022年10月09日 | 日記
秋の陽ざしに誘われて、棚田のある飯田の山手へ行ったきた。旧蔵王工業高校を田圃道に沿って歩いた。久しぶりに見る棚田は、刈り取りを殆ど終えている。2、3年前であれば、稲架が作られ、稲を乾燥する風景が見られたがもうその姿はない。コンバインで刈り取ると、その場で脱穀され、米だけが運ばれていく。棚田の秋も、私の年代の者にとっては淋しい景色になっていた。

日の縁をしづしづすすむ稲刈機 坂巻純子

この道は、まだ会社勤めをしている30年も前、出勤前のウォーキングで毎朝歩いた道である。田は所々耕作を放棄した跡も見えている。道端にあった、野菜や果樹の畑も、手を入れる人もなく、雑草が茂っている。
以前からあったリンゴ畑には、今年もたわわに実をつけている。秋が深まり、日をうけた赤いリンゴは、日に日に甘味が増していく。今年は台風が多く発生しているが、この地方はその影響を免れて落果もせずに収穫の時を待っている。リンゴ畑の脇を小川が流れている。田の水はこの小川が引かれているのだろう。

この道を通ううちに、畑で働く人たちとも顔見知りになった。今日歩いても、もうその人たちの顔は見えない。どうしているか、気になる。今の自分にできること。毎日身体を動かすことを習慣にする。「運動のみが精神を支え、心の活力を保つ」古代ローマの政治家キケロの言葉を反芻しながら、秋を歩く。スマホのえも子ちゃんからの励ましの言葉を聞くことも継続のモチベーションになる。
道ばたのあちこちに、雪のような白い花が目をひく。グーグルレンズが夏雪カズラであることを教えてくれる。この花は、秋の花とは言い難い。6月から10月の、むしろ夏を中心に咲く花だ。花言葉が、「この冬に咲くはずの雪」とある。今日の散歩の収穫、またひとつ覚えた新しい花の名。
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