先日BBCの古代エジプト文明の番組を見ました。
毎年のナイル河の氾濫によって
古代エジプトは生まれ、繁栄していた話。
昔世界史の授業で習ったなあ、と思いながら。
川の氾濫で、乾いた大地を潤す水と
上流から肥沃な土がもたらされ、
氾濫が遅れたり、なかったりした年には
多くの人が命を落としたのだとか。
そして、氾濫を正確に予測する必要から
天文観測が発達し、太陽暦が生まれ、
氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、
測量と幾何学などが発達するなどして
人間の太古の文明が、育まれたのだとか。
でもそこで、ふと気付いたことが。
日本は今、次々と台風や大雨に見舞われ、
川の氾濫は「災い」以外の何者でもないと
当たり前のように思っていたけれど、
古代エジプトでは、それは「恵み」だったんだ。
そして川の氾濫という自然災害なくしては
人間の太古の文明の、少なくとも1つは
生まれなかったのかもしれないんだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/a9/d1a65cf4fcbf75380d01fc9ad34f35a7.jpg)
自然は「恵み」ももたらす代わりに
「災い」ももたらすもの、と思っていたけれど
本当は自然がもたらすのは全て「恵み」で
それを「災い」にしたのは、人間なのかも。
川は生き物で、太くなったり細くなったり
流れを変えたり、形を変えたりして
広い大地に、多くの恵みをもたらしてきた。
それをコンクリートの堤防という檻に閉じ込め、
動けぬように押さえ込んだのは、人間。
自然の摂理に従って、少し動けば、
「災害」だ、「災い」だと騒がれてしまう。
それはかつて、人間の文明を育んできた
母なる自然の、脈動の一つにすぎないのに。
「恵み」を「災い」にしたのは
結局、人間のおごりなのかなあ。
「恵み」を「恵み」として享受しながら
進歩していける文明はないのかなあ。
そんなことをあてどもなく思い巡らせながら
古代エジプトに思いを馳せるのでした。
毎年のナイル河の氾濫によって
古代エジプトは生まれ、繁栄していた話。
昔世界史の授業で習ったなあ、と思いながら。
川の氾濫で、乾いた大地を潤す水と
上流から肥沃な土がもたらされ、
氾濫が遅れたり、なかったりした年には
多くの人が命を落としたのだとか。
そして、氾濫を正確に予測する必要から
天文観測が発達し、太陽暦が生まれ、
氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、
測量と幾何学などが発達するなどして
人間の太古の文明が、育まれたのだとか。
でもそこで、ふと気付いたことが。
日本は今、次々と台風や大雨に見舞われ、
川の氾濫は「災い」以外の何者でもないと
当たり前のように思っていたけれど、
古代エジプトでは、それは「恵み」だったんだ。
そして川の氾濫という自然災害なくしては
人間の太古の文明の、少なくとも1つは
生まれなかったのかもしれないんだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/a9/d1a65cf4fcbf75380d01fc9ad34f35a7.jpg)
(朝顔は実は、秋の花。あちこちで咲いています)
自然は「恵み」ももたらす代わりに
「災い」ももたらすもの、と思っていたけれど
本当は自然がもたらすのは全て「恵み」で
それを「災い」にしたのは、人間なのかも。
川は生き物で、太くなったり細くなったり
流れを変えたり、形を変えたりして
広い大地に、多くの恵みをもたらしてきた。
それをコンクリートの堤防という檻に閉じ込め、
動けぬように押さえ込んだのは、人間。
自然の摂理に従って、少し動けば、
「災害」だ、「災い」だと騒がれてしまう。
それはかつて、人間の文明を育んできた
母なる自然の、脈動の一つにすぎないのに。
「恵み」を「災い」にしたのは
結局、人間のおごりなのかなあ。
「恵み」を「恵み」として享受しながら
進歩していける文明はないのかなあ。
そんなことをあてどもなく思い巡らせながら
古代エジプトに思いを馳せるのでした。