間もなく東日本大震災から丸1年。
職場のあるビルの1階でも
津波被害の展示が行われていて
津波に引き裂かれた大漁旗や
泥まみれの小さなクマのぬいぐるみは
見るたび、胸がしめつけられる。
毎日のように放送される、
さまざまな震災の特番を見ながら
いろいろなことを考えてしまって。
あまりにも多くの課題を抱えた政府に対して、
批評家は、こぞって批判を展開してるけれど
批判するだけというのも、何か違うような。
当事者意識があれば、反省しこそすれ、
批判だけでは終われないはずでは、と。
確かに間もなく1年になろうとする今、
当事者意識を共有するのは
ますます難しくなりつつあるのかも。
震災直後のように、街の到るところで
募金が行われているわけではないし、
今自分に何が出来るのかを
切実に考えることも少なくなってきたり。
でも、「3.11を忘れない」というのは
ただ単に記憶しておく、というだけじゃなくて
当事者意識を持ち続けるってことじゃないかしら。
それは「お気の毒に」と「つらいなあ」の違い。
「かわいそうに」と「何か出来ることない?」の違い。
ただそれだけの違いでも、それを持ち続けること、
それが、大切なことのような気がして。
職場のあるビルの1階でも
津波被害の展示が行われていて
津波に引き裂かれた大漁旗や
泥まみれの小さなクマのぬいぐるみは
見るたび、胸がしめつけられる。
毎日のように放送される、
さまざまな震災の特番を見ながら
いろいろなことを考えてしまって。
あまりにも多くの課題を抱えた政府に対して、
批評家は、こぞって批判を展開してるけれど
批判するだけというのも、何か違うような。
当事者意識があれば、反省しこそすれ、
批判だけでは終われないはずでは、と。
(満開になった大阪繁盛亭の梅)
確かに間もなく1年になろうとする今、
当事者意識を共有するのは
ますます難しくなりつつあるのかも。
震災直後のように、街の到るところで
募金が行われているわけではないし、
今自分に何が出来るのかを
切実に考えることも少なくなってきたり。
でも、「3.11を忘れない」というのは
ただ単に記憶しておく、というだけじゃなくて
当事者意識を持ち続けるってことじゃないかしら。
それは「お気の毒に」と「つらいなあ」の違い。
「かわいそうに」と「何か出来ることない?」の違い。
ただそれだけの違いでも、それを持ち続けること、
それが、大切なことのような気がして。