わたしには子供がいるわけでもないし、
農業に携わっているわけでもないから
物を言うべきではないかもしれないけれど
瓦礫受入れに反対する住民の座り込み等の
ニュースを見ると、悲しい気持ちになる。
今「瓦礫」と呼ばれているものは
かつて誰かの大切な家や思い出だったもの。
粉々になったそれらの残骸を見ながら
明日を思い描くのは簡単なことじゃないはず。
瓦礫の処理は心の復興にも必要なこと。
家も生活も失った上に、出た瓦礫の拒否にあう
被災地の人はどんな気持ちだろうか、と。
福島原発周辺の瓦礫というならともかく
福島の瓦礫は、広域処理の対象外。
放射能や風評被害の心配は分かるけれど
過剰反応は、逆に国内外での風評被害を
助長することにはならないかしら。
先月、兵庫県の西宮の市長は、
阪神大震災の時に出た瓦礫の2割弱の処理を
他の市町村にやってもらった恩返しに
瓦礫受け入れを前向きに検討すると表明。
あくまで一市民の感想にすぎないけれど、
わたしはそれを誇りに思いました。