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ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

過ぎ行く夏に

2011年08月27日 22時25分00秒 | 仕事・職場
この夏も元同僚(OB)の懐かしい人々が
次から次へと、遊びに来てくれました。
駅からも遠く、不便なところにあるにも関わらず
暑い中、元気な笑顔を見せに来てくれて。

今日もフランス語のレッスンの後、
東京から帰省中のOBの一人と一年ぶりのランチ。
迷いながらも、地に足をつけて歩いている様子に
安心すると同時に、頼もしさも感じられて。
若いOBさんたちは、ひまわりのよう。
会うたびにまぶしいばかりに成長して、
嬉しい反面、ちょっぴり寂しい。



以前紹介した「たとへば君」の永田和宏さんは
歌人であると同時に細胞生物学者でもあって、
大学院で学生を指導し、世に送り出しながら、
「私だけが一本の杭のようにその流れの中に立っていた。
(中略)杭だけがそこに取り残されて老いてゆく。
さびしいことである。」と書いていらした。
深い共感を感じながら先を読むと、こんな言葉が。

「(学生たちが)それぞれの環境での自分の位置を測るのに
その座標の一部としてわたしという杭があり、
その杭と共にあった彼ら自身の日々があるのかも知れない。
それならば、寂しくとも杭は動いてはならない。」

私はみんなが帰りたい時、帰ってこられるように
灯台であり続けたいと願ってきたけれど
そういう座標の一部にも、なれたらいいな。
私たちと共に過ごした日々を一つの定点として、
各々、自らの成長を実感してもらえたらいいな。
そんな役目のための寂しさなら、よろこんで。
コメント
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