この夏も元同僚(OB)の懐かしい人々が
次から次へと、遊びに来てくれました。
駅からも遠く、不便なところにあるにも関わらず
暑い中、元気な笑顔を見せに来てくれて。
今日もフランス語のレッスンの後、
東京から帰省中のOBの一人と一年ぶりのランチ。
迷いながらも、地に足をつけて歩いている様子に
安心すると同時に、頼もしさも感じられて。
若いOBさんたちは、ひまわりのよう。
会うたびにまぶしいばかりに成長して、
嬉しい反面、ちょっぴり寂しい。

以前紹介した「たとへば君」の永田和宏さんは
歌人であると同時に細胞生物学者でもあって、
大学院で学生を指導し、世に送り出しながら、
「私だけが一本の杭のようにその流れの中に立っていた。
(中略)杭だけがそこに取り残されて老いてゆく。
さびしいことである。」と書いていらした。
深い共感を感じながら先を読むと、こんな言葉が。
「(学生たちが)それぞれの環境での自分の位置を測るのに
その座標の一部としてわたしという杭があり、
その杭と共にあった彼ら自身の日々があるのかも知れない。
それならば、寂しくとも杭は動いてはならない。」
私はみんなが帰りたい時、帰ってこられるように
灯台であり続けたいと願ってきたけれど
そういう座標の一部にも、なれたらいいな。
私たちと共に過ごした日々を一つの定点として、
各々、自らの成長を実感してもらえたらいいな。
そんな役目のための寂しさなら、よろこんで。
次から次へと、遊びに来てくれました。
駅からも遠く、不便なところにあるにも関わらず
暑い中、元気な笑顔を見せに来てくれて。
今日もフランス語のレッスンの後、
東京から帰省中のOBの一人と一年ぶりのランチ。
迷いながらも、地に足をつけて歩いている様子に
安心すると同時に、頼もしさも感じられて。
若いOBさんたちは、ひまわりのよう。
会うたびにまぶしいばかりに成長して、
嬉しい反面、ちょっぴり寂しい。

以前紹介した「たとへば君」の永田和宏さんは
歌人であると同時に細胞生物学者でもあって、
大学院で学生を指導し、世に送り出しながら、
「私だけが一本の杭のようにその流れの中に立っていた。
(中略)杭だけがそこに取り残されて老いてゆく。
さびしいことである。」と書いていらした。
深い共感を感じながら先を読むと、こんな言葉が。
「(学生たちが)それぞれの環境での自分の位置を測るのに
その座標の一部としてわたしという杭があり、
その杭と共にあった彼ら自身の日々があるのかも知れない。
それならば、寂しくとも杭は動いてはならない。」
私はみんなが帰りたい時、帰ってこられるように
灯台であり続けたいと願ってきたけれど
そういう座標の一部にも、なれたらいいな。
私たちと共に過ごした日々を一つの定点として、
各々、自らの成長を実感してもらえたらいいな。
そんな役目のための寂しさなら、よろこんで。