ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

フランス語頑張ってます

2011年08月17日 22時03分00秒 | フランス語
日中は、35℃近い猛暑が続いているものの
朝のセミの大合唱は、日に日に勢いを失い、
2-3日前からは、夜が更けると
りーんりーんと、涼やかな虫の音が。
うっかりしていると気付かないけれど
少しずつ、季節は移り始めているみたい。

わたしはこのところ、公私共にバタバタで
ふと気がつけば、昨年撃沈して再挑戦を決めた、
職場の仏語試験まで、あと1ヶ月を切っていて。
何せ職場の経費で受けさせてもらうものだから
落ち続けるわけにはいかないというのに。
というわけで、おしりに火がついて
ブログもまともにアップ出来ずにおりました。



一日一日精一杯やっているつもりだけど
ちゃんと進歩してるのかどうか、自信が持てず。
それどころか、やればやるほど
道のりの遠さが見えてきて、くじけそうになる。
語学の勉強って、地味で苦しいことの積み重ね。
それは、語学だけのことじゃないとはいえ。

仕事でも、これから色んなことが起こりそうだけど
とにかく、今出来ることを精一杯やろう。
フランス語の勉強も、そのひとつ。
毎日を丁寧に、ハッピーに、後悔のないように、
この日々のあることに、感謝しながら。
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祈りの月

2011年08月12日 23時25分00秒 | 社会
昨日で震災から、もう五ヶ月。
被災地も迎える、初盆。
それを思うと、心がしんとなる。

被災地の方々にとっては
ゆっくりと悲しむ余裕さえない初盆なのかも。
あまりにも後手後手の政府の対応。
歯がゆいほどに、進まぬ復興。
「五山の送り火」を巡る京都の対応は
あまりにも残念で、情けなくて、
数年間でも、京都に住んだことのある者としては
陸前高田の方々に詫びずにはおられません。
本当に、本当にごめんなさい。



6日は広島の原爆の日、
9日は長崎の原爆の日、
11日は震災から5ヶ月目で、
今日は日航機墜落事故から26年目。
そしてお盆をはさんで
15日は、終戦記念日。

こんなにもまばゆい光の一方で
8月は、鎮魂と祈りの月。
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美輪明宏コンサート

2011年08月08日 22時05分00秒 | 音楽・アート
職場の同僚2人に誘われて
ほんの出来心で行ってきました、
美輪明宏さんのコンサート。

見た目のインパクトもさることながら、
わたしの親の年齢とは到底思えない、
ほとばしるようなエネルギーと
他を圧倒するような存在感はすごいものが。

倍音のファルセットの歌声は
時にふうわりと優しく、観客を包み込み、
時に怒涛のような迫力で観客を飲み込んでゆく。
どの歌も、1曲1曲がドラマで
上質なモノクロ映画を1本ずつ観ているよう。
思わず涙がこぼれてしまって。

波乱万丈の彼の人生の10分の1でも
普通の人なら、到底生きられないだろう。
長崎で被爆し、ホームレスさえ経験し、
天国も地獄も、すべて乗り越えてきた果ての
この婉然とした微笑みの、ゆるぎない強さ。

(何だかご利益がありそうな、サイン入りの本)

ロビーで買った彼の著作には、こんな言葉が。
先日のブログで言いたかったことも
まさにこのことだったのだけれど
これだけの言葉で、この説得力は、
経験や、自信や、人徳があってのことだなあ。

 幸せ不幸せは
 「あるか」「ないか」ではなく
 その人が「感じるか」「感じないか」という基準で
 存在したり、しなかったりするのです。
 (美輪明宏著 「花言葉」より)
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幸福の感度

2011年08月05日 23時30分00秒 | 社会
2週間くらい前になるけど
国連総会の決議の中にこんな文言が。
社会や経済の開発政策の策定にあたって
幸福度というものがもっと考慮されるよう、
各国は努力することを求める、だって。

「開発」という一見数量的で、客観的なものと
「幸福度」という非数量的で、主観的なものと
その組み合わせが新鮮で、興味をそそられて。
でも考えたら、ごく当たり前のことかも。
何のために「開発」しているかといったら
人々が「より幸福になるため」だから。

「豊かになるため」と信じてた時代もあったけれど
世界でも有数の、豊かな国である日本が
世界の幸福度ランキングでは、ここずっと、
中の下あたりに沈んでいることからしても
「豊か=幸福」には、限界があるみたい。

ただ、幸福度というのはとても主観的なもので
国民性や文化も、多分に影響するものだから
他の国と比べても、意味がない気がする。
あくまでも、日本なら日本だけで、
対前年比で、上がった下がったでいいのかも。



それにしても、幸福を感じにくい日本人って
なぜなのかなあ、と思わずにはいられなくて。
仕事が忙しくて、休みも取れない、
学校が厳しくて、勉強に追われる、
毎日同じことの繰り返しで、変化がない、
「だから不幸」と答えることも出来るけど
「だから幸福」と答えることも、出来るのでは。

仕事がしたくても、仕事がない、
学校に行きたくても、行けない、
昨日までの日常が、戻ってこない、
それは「震災後」、何度も耳にした言葉。
幸福の感度を、ちょっと上げて、
欲望のレベルを、ちょっと下げれば、
日本人の幸福度はもっと上がるのかも。
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この世の息

2011年08月01日 22時19分00秒 | 出会い
一月ほど前、ふと新聞の広告欄で見かけて
なぜか心惹かれた本があって。
歌人夫妻が死に別れるまでの、相聞歌集。

その数日後、何となく録画した番組が
この世の息」と題された、
歌人夫妻のドキュメンタリー。
先日、ようやくその録画を観たら、
新聞の広告欄にあった本の夫妻と
同一人物だと分かって。

それどころか、はっと思い立って
朝日新聞の月曜版を引っ張り出してみたら
残されたその男性歌人は朝日歌壇の、
わたしがいいなあと思っていた選者の方。
今までは名前も覚えていなかったけれど。

偶然もあまり重なると、これも縁かと思い、
新聞で見かけた本「たとへば君」を読みました。
大学時代に出会った二人が恋をし、
結婚をし、家庭を築き、40年の年月を経て
そして死に別れるまでの、悲しく美しい軌跡。



乳癌でこの世を去る妻、河野裕子さんの
「長生きして欲しいと 誰彼数えつつ
つひには あなたひとりを数ふ」。
「手をのべて あなたとあなたに触れたきに
息が足りない この世の息が」。

その河野さんを支え続けた夫、永田和弘さんの、
「歌は遺(のこ)り歌に私は泣くだらう
いつか来る日のいつかを怖る」。
「最後まで決してきみをはなれない
早くおねむり 薬の効くうちに」。

40年の時を経て尚、痛いほどに惹かれあう魂の
切なさ、美しさに、涙することしか出来ず。
副題に「40年の恋歌」とあったけれど
死すら分かつことの出来ぬ二人の、恋歌でした。
コメント (2)
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