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ハンブルク浮世絵コレクション展を開催する承天閣美術館がある相国寺は、京都御苑の北側に位置する寺院。金閣寺、銀閣寺をはじめ全国に100を越える数の寺の臨済宗相国寺派の本山です。
開基は、室町三代将軍・足利義満。1382年に幕府を置く「花の御所」のそばに、大伽藍を建立することを発願し、竣工はその10年後。初代住職は、夢窓疎石となっています。でも、夢窓疎石は、1351年に亡くなっています。不思議?その訳は、義満が禅の師である春屋妙葩に初代住職を依頼したのですが、彼は、師である夢窓疎石を初代住職にするなら、2代目になるという条件で引き受けたそう。それで、夢窓疎石が開山に。
「いろいろ複雑だねぇー。でも師をすごく尊敬していたんだね、きっと・・・」とミモロ。
松の木が茂る境内を、トコトコと巡ります。広い境内は、お散歩にぴったり。
現在、境内の中心に位置するのは、堂々と聳える法堂です。天井には、狩野永徳の長男、狩野光信が描いた「鳴き龍」があります。
現存する建物は、慶長10年(1605)に豊臣秀頼の寄進によるもの。
「秀吉と淀君の息子でしょ。ずいぶん若いときに寄進したんだね・・・」
確かに、秀頼は、享年23歳ですからね。
実は、彼は、とても教養も高く、書も見事。人望もカリスマ性もあったとか。
体格も堂々として、長身だったという話も。(だから小柄な秀吉の子ではないのでは?との疑惑も)
「えー。ママである淀君のイメージが強いから、マザコンのひ弱なお坊ちゃまかと思ってた・・意外・・・」
私たちが抱く歴史的人物のイメージは、テレビドラマや映画の俳優のイメージが強いようです。秀頼役の俳優さんは、たいてい、繊細でひ弱なイメージの人が多ですよね。
秀頼がたくましい大男だったら、関ケ原の戦いや大坂夏の陣などのイメージもずいぶん変わってしまうような気がします。
まぁ秀頼の話は、いずれまた・・・ということで。
この法堂(はっとう)は、何度も火災で焼失し、秀頼が寄進したのは、なんと5回目の再建。
日本最古の法堂建築です。
相国寺は、なんども火災に見舞われ、その都度、時代の有力者が再建を繰り返します。それだけ重要な寺院だということです。
「昔、ここには、七重塔があったんだって、どこかに書いてあったよ」とミモロ。
そう、日本様式の仏塔として史上最も高い100m以上のものだったそう。でもその塔も数年で焼失。
「みんなの力で作ったのに、すぐ火事で焼けちゃうなんて、悲しいね・・・。でもくじけないのは、すごい!」と感心するミモロです。
「あ、こんなところに小さな神社がある・・・・」ミモロが見つけた神社とは?