ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

藩校跡に建つ「萩市立明倫小学校」。木造校舎の学び舎。敷地内には、藩校の史跡も。

2011-11-07 | 歴史・史跡
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萩出身のお友達に連れられて、ミモロが次に向かったのは、萩市立明倫小学校。

萩の町のほぼ中心部にあり、創立は、享保4年(1719)という、すごく長い歴史のある小学校です。
この小学校の前身は、長州藩の藩校「明倫館」。
水戸藩の弘道館、岡山藩の閑谷学校と並び、日本三大学府のひとつでした。
6代萩藩主、毛利吉元が萩城内に創建し、14代藩主毛敬親が、嘉永2年(1849)に、萩城下に移転したもの。慶応3年(1867)の廃館まで、約150年間、藩校として、藩きっての秀才たちが、学び、卒業生には、桂小五郎、吉田松陰、高杉晋作、井上馨など、歴史の教科書に登場するそうそうたる人たちが名を連ねます。その由緒ある「明倫館」の敷地にあるのが、「萩市立明倫小学校」です。

実は、ミモロのお友達も、ここの卒業生。それで特別に案内してもらいました。

さすが歴史ある小学校、一般的な公立小学校にはない、特別なものが。では、ここで
ミモロもビックリ「ここがスゴイぞ!明倫小学校」をお話しましょう。

1.広い敷地には、「明倫館」時代の建物などが点在。
このりっぱな建物は、藩校時代の中門の観徳門(かんとくもん)。

藩校創設の理由と学問の目的が刻まれた「明倫館碑」。
台座は大きな亀が支えていました。


「大きな四角の池…」と思ったら、遊泳術や水中騎馬の練習をする「水練池」です。

また、茂みの中にある大きな石碑は、
「吉田松陰先生講学之跡」という石碑で、松陰先生が江戸で処刑されて、100年目の昭和33年に立てられたもの。(ここでは、松陰とは呼び捨てにできない雰囲気。なので松陰先生と…)

さすが歴史が長いだけに、敷地に茂る木もりっぱです。

ほかにもいろいろ。まさに歴史の舞台の中で、勉強しているみたいです。


2.校舎が、国の登録有形文化財。昭和10年当時の木造校舎は、今も現役。

「なんか、昔の小学校みたいで、懐かしいねぇ」と、ミモロが言うように、校舎の多くが木造。昭和10年に作られた校舎を、現在も大切に使っています。

校長室、事務室、保健室、音楽室などの校舎は、なんと国の登録有形文化財。


3.毎朝、朝礼で「松陰先生の言葉」を声高らかに朗唱。
昭和56年からはじまった、朝の習慣。1年生から6年生まで、それぞれにふさわしい言葉を朗唱するそう。
たとえば、1年生では「今日よりぞ、幼心を打ち捨てて、人と成りにし、道を踏めかし」など、6年生では、大人でもむずかしそうな言葉を朗唱するんです。声を出して覚えることで、意味も次第に分かるようになり、大人になっても、ふとその言葉を思い出すそう。子供たちにとって、将来、素晴らしい宝物になるのではと思います。スゴイ!スゴイ!


卒業生であるお友達に案内されて、さらに、トコトコと校内を歩くミモロです。

「喉乾いちゃった」と水飲み場では、水を飲ませてもらいました。

柱に顔をうずめて、何してるの?
「ダルマさんが、転んだ・・・」。あ、ミモロがオニなのね。

鉄棒でも、遊びました。


「こんな学校で、勉強できたらいいなぁー」と、すっかり「明倫小学校」が気に入った様子。
体育館で、バスケットボールをしている子供たちを、うらやましそうに見るミモロです。


萩出身の住民の多くがここの卒業生。しかも、とても歴史が長い小学校なので、親子3代同窓生というのも珍しくないそう。

今は、安全性を重視して建設されるコンクリートの校舎(それは、大切なことですが…)。もちろんここの木造校舎でも、さまざま部分の改修や補強などがされているでしょうが、古いものを大切に使う心が、いっそう育つような気がします。
今後、ますますこのような学校のよさが、見直されてくるのでは。勉強だけでなく、人間としての生き方を学ぶこと…今、それがとても大切な時代に。それを改めて感じさせる小学校でした。
コメント (2)
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