
「毎日、いろいろお話したいことがあって、すっかり遅くなちゃった…ごめんねぇ」と、ミモロ。
お話したかったのは、11月1日に行われた「護王神社(ごおうじんじゃ)」の「亥子祭」のこと。

「護王神社」は、京都御苑の西側にある由緒ある神社。

ご祭神は、和気清麻呂と彼のお姉さまの和気広虫姫。
和気清麻呂といえば、奈良時代末期の貴族で、宇佐八幡の御神託により、皇位への野望を抱く道鏡を弾劾し、九州に流された人物。その後、再び、宮中に戻り、桓武天皇に平安遷都を進言し、平安京造営に貢献。今日の京都の町に多大な功績を果たした人です。お姉さまの広虫姫も、慈悲深い人柄から天皇の信頼も厚かったそう。
そもそも「護王神社」は、高雄の神護寺の境内に祀られていたところ、和気清麻呂の歴史的功績を讃え、明治天皇の勅令で、明治19年(1886)に、京都御所蛤御門の前の現在の場所に社殿を造営したそう。
境内には、狛犬ならぬ、狛イノシシが。

「なんでイノシシなの?」と不思議がるミモロ。
それはね、和気清麻呂が、九州に流された時、道鏡が遣わした刺客に命を狙われていたそう。彼が、宇佐八幡に行く道中を、たくさんのイノシシが護衛して、無事到着することができたという話に由来するとか。それでイノシシを大切にお祀りして、別名「イノシシ神社」とも言われている神社に。
また、刺客により、和気清麻呂は、足を負傷。しかし、イノシシに守られて移動している間に、すっかり回復したという話も。それでここの神社は、「足腰の健康回復にご利益がある」と言われているんです。
11月1日、この神社のお祭りのひとつ「亥子祭」が行われると聞き、ミモロもちょこっと出かけることに。
平安時代の宮中の年中行事の亥の子餅の儀式を、再現した雅なお祭りです。
亥の子餅は、源氏物語にも登場する平安時代にも食べられたお菓子。「亥子祭」は、旧暦10月の初亥の日に亥の子餅を食べ、無病息災を祈るもの。その形もイノシシの子供の瓜坊のようにゴロンとして、素朴な形。
11月には、いろいろな和菓子屋さんでも、亥の子餅が作られるので、ぜひ、一度ご賞味ください。ちなみにミモロは、「とらや」の亥の子餅がお気に入り…。黄な粉をまぶし、干し柿と黒ゴマを混ぜ込んだ餅が、餡を包んだもの。美味しいんですよ。(「とらや」での販売期間は、11月1日~11月30日、まだ間に合う秋の味。写真は、とらやのホームページ季節のお菓子でご覧ください。)
さて、境内に入ると、きれいな女房の姿が。

「わー素敵な姿…平安時代の装束って、しとやかな感じでいいね」とミモロは、女房装束に憧れているみたい。

祭典は、衣冠の神職と平安朝の女房装束の5人の方々が奉仕します。まるで平安時代のひとこまを見ているような雅な雰囲気が漂います。

亥の子餅を宮中に献上する儀式は、夕暮れから始まり、神社でのお祓いなどの神事の後に、神社から、蛤御門を経て、御所の清所門へ、神職、女房らが、調貢列を整えて進みます。
すべての儀式を終えると、神社では、参列者に、お餅がふるまわれます。

その日、ミモロは、祭りの最後まで見ていられなかったので、お餅をいただくことはできませんでした。
「うー残念…。来年は、絶対食べたい…」と心に決めるミモロです。
*「護王神社」の詳しい情報は、ホームページから。
11月から12月、京都では、新嘗祭や新年を迎えるための祭事が、いろいろな神社で行われます。紅葉と共に、ぜひ、そんな祭事にご参加を。来年がいい年になりますよ、きっと…。