「同志社大学」に併設するレストラン&カフェで、遅いランチを食べたミモロ。烏丸通を南に下り、「京都御苑」へと入りました。
「京都御苑って広くて、出入りできる門が少ないから、一度中に入ると、すごく歩くの覚悟しなくちゃいけないんだよねー。でも、たくさん食べちゃったから、お腹空かせるために歩かなきゃ…」と、トコトコと。
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「梅がないかな?」とキョロキョロ。残念ながら、どこにも梅の木を見つけることができません。
「京都御所」の中は、梅の木があるとか。でも、昨日も雪が降ったので、開花はまた遅れそう…。
さて、ミモロは、「京都御所」の北側の塀沿いに東へと歩きます。
「ホント、御苑の中は、砂利が敷き詰められているから、歩きにくいんだよねー」と、いつもながら思うミモロ。
それで、溝のすぐ脇の砂利が少ない部分や溝の石の部分を「オ、トットー危ない。油断すると溝に落ちちゃう…」
と言いながら、歩きます。
そして、やっと長い塀が終わり、「京都御所」の北東の角に到着。
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「あれーここは、へこんでるー」。御所の四隅のうち、ここだけが、へこんで、わざわざ屋根もそれに沿ってできています。
ここは、鬼門の北東角。このへこみは、鬼門除け。
そばの林の中に、
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北東は、干支では申の位置に。そのため、北東には、厄除けに猿が飾られます。以前ミモロが「都の七福神まいり」で訪れた「赤山禅院」は、都の北東に位置し、厄除けの守護の役割を担っていました。その門の上にも猿の像が座っていました。
「え、ここにも猿がいるの?」。塀の屋根の部分に目を凝らすと、
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「赤山禅院」の猿もそうでしたが、ここの猿も夜中にいたずらをするというので、網の中に入れられてしまったのだとか…。
「えーずっと網の中にいるんでしょ…もういい加減出してあげればいいのにー。きっと反省してるよね」と、猿に同情するミモロです。
そろそろ西の山に陽が傾きだした御苑は、人影もまばら…。まだ冬枯れで、葉の少ない林には、陽光が地面まで注いでいて、とても心落ち着く景色です。
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ミモロは、その景色の中を走ったり、ときどき立ち止まったり…。
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「なんかこの景色、心が洗われる気がするー」と、楽しそうに過ごします。
空気は、冷たいのですが、本当に静かでおだやかな景色…桜や紅葉など、特別なものはないけれど、それだけに心鎮まるようです。
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カラスものんびりしています。
しばらく御所の塀沿いに南へと進むと、林の中に、また木の表示が。
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「皇女和宮生誕の地」と。
孝明天皇の妹として、弘化3年(1846)生まれた和宮親子(ちかこ)内親王。5歳のときに有栖川宮熾仁親王と婚約。でもその後、公武合体策のため、16歳の時に徳川家茂に嫁ぐことに。慶応4年(1868)の戊辰戦争の後、錦の御旗を掲げて、和宮のいる江戸城に、倒幕に向かった東征軍の大総督こそ、かつて婚約していた有栖川宮…。このお話は有名ですね。
「あ、さっき行った『宝鏡寺』にも和宮さん暮らしてたんだよねー。へーここで生まれたんだー」と、なぜかしみじみと…。
それからさらに南へ歩くと、次に現れたのは、「学習院跡」
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「え、京都にも学習院があるの?」
ここは、弘化4年(1847)に孝明天皇が、公家をはじめ、御所に勤める人たち、およびその子供達の教育のために開講した学問所だったそう。
そして、やっと御所の南東にある華やかな趣の「建春門」に到着。
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「フーよく歩いたー」とミモロ。
そう、北西の角から、「猿ヶ辻」北東の角まで、約250メートル。そしてそこから南東の角まで約450メートル。
つまり、ミモロは、約700メートルを「京都御所」だけで歩いたことに。
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「うーここから、京都御苑を出るのに、まだかなり歩くんだよねー」
そう、丸太町通までは、まだ500メートル以上あります。
「えー一番近い外に出られる門は…」。それは寺町通に出る「清和院御門」。でも、そこまでも300メートルはありそう。「わーん、『京都御苑』巡回バスがあればいいのに…」と、いつも思うミモロです。
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