ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

ミモロの桜めぐり。枝垂桜が見事な「本満寺」、そして「聚楽第」の裏門に咲く桜の「妙覚寺」へ

2016-03-29 | 京都

「今日もいいお天気…でもちょっと肌寒いね~」とベランダに出て外の様子をチェックした日曜日。
桜の開花もジワリジワリという感じです。「でも、咲いてる桜もあるから、見に行こう~」と、自転車のバスケットに飛び乗ります。

まず向かったのは、今出川通から寺町通を北に進んだエリアです。この辺りは、秀吉の時代に、市内にあったお寺を強制的に移転させるという、大胆な都市計画を実行したエリアで、今も、たくさんのお寺がこの通り沿いにあります。

ミモロは、自転車のバスケットから通り過ぎるお寺を眺めては、「ここ桜さいてるかな?」とチェック。
「あ、ここ桜が見える…」
お寺の塀の上にこんもりと桜の姿を発見。

さっそく入ってみることに…
ここは、日蓮宗の本山「本満寺」。応永17年(1410)関白近衛道嗣(みちつぐ)の長男の日秀が、今出川新町の邸内に開基、造営したそう。今もその地域は、元本満寺町という町名が残ります。その後、おそらく秀吉の都市計画のため、現在の地に移転したものと…。

このお寺は、8代将軍 徳川吉宗の病気平癒を祈願し、幕府祈願所になりました。
「え~暴れん坊将軍もお病気になったんだ~」と、吉宗と聞くと松平健さんの顔が浮かぶミモロです。

ここに移転してからも、何度も火災で焼失。そのたびに再建されたお寺です。現在の本堂は、昭和2年に再建されたもの。
ご本尊は、十界大曼荼羅・日蓮。まずは、桜をちらりと横目で見ながら、本堂に参拝。

「わ~りっぱだね~」

丸く大きな傘を広げたような美しい姿…。

なかなかべランスのいい枝ぶりです。周囲にほかに桜がないので、この1本が、堂々と…。

その桜のまわりには、実は大勢の撮影者が、カメラを構えています。
その撮影状況を見ながら、邪魔にならないように、桜に近づきます。
「キレイ~」
風に揺れる枝は、なんとも風情があり、見とれてしまうミモロです。


パシャパシャと絶え間なく聞こえるシャッタ―の音…立派な一眼レフカメラ、しかも望遠レンズで狙うカメラファン。
まるで女優さんの囲み取材を思わせます。

「花の時期だけでも注目されてうれしいよね~きっと…」とミモロは、桜を見上げます。


*「本満寺」京都市上京区寺町通今出川上ル

さぁ、次に移動しましょ…「は~い」と自転車に…。ここから西へと向かいます。
「あ、ここ寄ってゆく」と、自転車から飛び降りたのは、ミモロが大好きな鎌餅と懐中しるこが名物の「大黒屋鎌餅本舗」。
店には懐中しるこが…
「こんにちは~」と元気よく挨拶。「あ、ミモロちゃんいらっしゃい…元気だった?」と笑顔で迎えてくださったご店主。
「はい、元気で~す。あの~鎌餅と懐中しるこください~」とお願いします。「はい、ちょっと待っててね~」
「これ大好きなの~」とミモロ。店にはミモロとの写真も飾ってくださっています。
「また、寄ってくださいね~」と、ミモロが自転車に乗るまで、見送ってくださいました。

「桜見ながら鎌餅食べるんだ~」と、しっかりおやつも確保するミモロです。

*「大黒屋鎌餅本舗」京都市上京区寺町通今出川上ル 阿弥陀寺町25 075-231-1495 8:30~20:00 第1・3水曜休み 「ミモロ 大黒屋鎌餅」で検索するとより詳しい情報が…


自転車で住宅地の路地を西へと向かう途中、「あ、ここにも桜あるよ」と一時停止したのは・・・
 
日蓮宗本山「妙覚寺」です。門前の桜は、まだ3分咲きというところ。
「妙覚寺」は、一連周京都十六本山のひとつ。
この門は、秀吉が天正18年(1590)に建設した「聚楽第」の裏門を、寛文3年(1663)に移築したと言われ、今に残る数少ない聚楽第の遺構です。
「え~この門、聚楽第の裏門だったんだ~」と改めて眺めるミモロ。

「聚楽第」といえば、秀吉が造営した豪華壮麗な城郭風邸宅。その規模は、二条城より一回りビッグサイズといわれます。
秀吉の栄華を象徴する「聚楽第」の裏門。裏門といえども、さすが堂々とした風格…。
「きっとその当時も桜がそばに咲いてたかもね~」

塀にかかる桜の枝が、その歴史を蘇らせるように華やかさを添えます。

「聚楽第って見てみたいね~。どんだけ豪華だったんだろ~」と。京都の長い歴史の中で、おそらく最もゴージャスなのは、秀吉のいた時代…。徳川幕府の時代は、質素倹約などを奨励した時代です。一方、秀吉の時代は、まるでバブルの時代を彷彿とさせるゴージャスさ…。「ゴージャスな時代の後って、緊縮財政の時代が長く続くの今と似てるかも…」とミモロ。
京都の人が、豊臣贔屓なのは、華やかな文化があったからかもしれません。
「徳川家もすごく御所やお寺、神社なんかに資金援助してるのにね~」

北野の大茶会、醍醐の花見など、民衆がビックリするような大規模なイベントを開催した秀吉。
「確かに徳川家は、民衆を喜ばすようなイベント、あんまりやってないかも…」
まぁ、徳川家の場合、本拠地は江戸ですから…将軍も京都に上洛するのは、幕末になってからだし…。

「聚楽第」の裏門の桜を眺めながら、いろいろ想像するミモロです。

そこから、さらに西へ。堀川通へと進みます。

*「妙覚寺」京都市上京区新町通鞍馬口下ル


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