ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

心で祀るお仏壇。各宗総本山御用達、京仏具の老舗、三条通の「吉田源之丞老舗」。

2012-06-20 | 老舗

「ねぇ、うちには神棚はあるけど、お仏壇ってないねー。仏様もお祀りしたいなぁー」と突然言い始めたミモロ。

三条通のアーケードを歩いていて、「あ、小さな仏様がいろいろあるよー」と、

ふと立ち止まったのが、「京仏壇 吉田源之丞老舗」です。

元亀3年(1572)創業の400年以上の歴史をもつ老舗です。
「確か室町幕府が滅んだのが、1573年だから…えーその前からあるんだー。すごい!」と、その歴史の長さに驚くミモロです。

このお店は、京都の伝統工芸技術による京仏具、仏像、寺院のお飾りなどを制作、販売しています。各宗の総本山の御用達であり、全国の寺院からの注文や、仏像、仏具などの文化財の修復も手掛けています。


お店の中は、かなり奥行があります。間口が狭くて、奥が深い…京都らしいお店の造り。


店内には、木彫りの仏様をはじめ、
御数珠お線香、お供えの器やお位牌などが、店の入口付近に並んでいます。

「いろいな物があるんだねぇー」と、お店の中を見て歩くミモロです。
「何かお探しですか?」とお店の方が、声を掛けてくださいました。
「あのー仏さまをお祀りしようと思うんですけど、仏壇じゃなきゃダメですか?」と、遠慮がちに尋ねます。

「そうですね、ご先祖さまや仏様をお祀りするには、仏壇を用意するのが、普通ですが、大切なのは、お祀りする心ですから、それぞれの方の思いで、お祀りされればよろしいかと…」
「うちには、お仏壇を置く場所がないので仏様だけ、お祀りしよう…」と心の中で思うミモロです。

店の奥まった場所には、大小さまざまな仏壇が並んでいます。


ここでちょっと伺ったお話を…
昔は、大きな仏壇を仏間に飾る家が多かったそうですが、やはり最近の傾向は、小さ目のものが好まれるそう。また漆塗りの艶やかな黒の仏壇より、リビングなどのインテリアにマッチするダークブラウンの色合いの家具調のスタイルが人気とか。
「ご先祖様のお住まいも小さく、モダンになったんだねぇー」と、ミモロ。


また少子化が進む現代、一人っ子同士の結婚で、両家の仏壇がある場合。嫁ぎ先の仏壇をメインにして、実家の仏壇は、ちょっと控えめに飾るか、宗派が同じ場合は、合体させてもいいそう。

飾る向きは、北向き以外ならいいそう。
でも、場所がないからと、戸棚の中や他の生活用具と一緒に荷物のように置くのは避けましょう。やはり、ちょっと特別な場所を作って…。

また、住宅事情などで、仏壇が飾れなくなった場合。仏壇を処分しなくてならないときは、近くの仏具屋さんに相談するといいそうです。お寺では引き取ってくれません。決して粗大ゴミには出さないように…。


ともかく、お祀りするという心が一番。
「ご自分の気持ちやご予算にあったものを、お選びになればよろしいかと…」

ということで、ミモロが選んだのは、
小さな阿弥陀様の像と、それを納める厨子とちょっと高い位置に厨子を置く台。
そして小さな器と、
とても澄んだ音色がする、これまた小さなおリンです。

さらにお線香立ても揃えました。
全部で、約2万円ちょっと・・・・。
「すごく小さいけど、仏様やご先祖様は、きっと喜んでくれるよねー」と、ミモロ。

買ったお品を包んでもらっている間、ミモロは、またお店の中を見て回ります。
「お経を乗せる小さな台があるー」
その小さな台にお経を乗せて、ブツブツと…。


「パワーストーンのブレスレッドもいろいろある…」

「ここに来れば、仏壇だけじゃなくて、中にお供えするあらゆるお道具が揃うね」と。

包んでもらった品々を大切に抱えて、家に戻ったミモロ。さっそく仏様をお祀りします。

すべてが小さなお仏壇…まさにミモロサイズです。
でもとてもスッキリとして清らかな感じ…。
それからは、毎朝、きちんと手を合わせ、お参りするミモロです。

*家の中に、神棚や仏壇を置くと、とても心休まります。仏壇は、仏様やご先祖さまに通じる場所。現在、ここにいるのは、数多くのご先祖様がいらした御蔭です。
ミモロのように、家の中のちょっとした場所に、小さな仏様をお祀りするだけでも、いいのでは…。おリンの響きが、心を静めてくれます。


*「京仏具 吉田源之丞老舗」京都市中京区三条通寺町東入ル石橋町23 電話075-221-4642
営業時間:11:00~20:00 無休 詳しい情報は、ホームページで。




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豊臣秀次が築いた八幡山城。近江八幡の町や琵琶湖などを眺める絶景ポイントにロープウェイで。

2012-06-19 | 歴史・史跡

東京からやってきたお友達に、琵琶湖の東岸にある近江八幡の町を案内するミモロ。
以前、乗り損ねた「八幡掘めぐり」の舟にも、しっかり乗船。町を流れる堀から、ゆっくりと情緒あふれる町を見学しました。

「あのねー。もうひとつおすすめの場所があるのー」と、次にミモロが向かったのは、これまた、前回、乗れなかった「八幡山ロープウェイ」です。

乗り物好きのミモロは、どうもお友達の案内の名目で、自分がやり残したことを楽しんでいるみたい…。さすがちゃっかり者のミモロです。

ロープウェイがあるのは、町の北側に聳える標高271.9mの八幡山です。
ここは、近江八幡の町を作った豊臣秀次が、天正13年(1585)に城を築いた場所。
かつては、ここに本丸、二の丸、西の丸、出丸を備えた大要塞のような山城があったのです。



でも、ご存じの通り、秀次は、叔父、秀吉の養子となり、関白に任ぜられた後に、秀頼の誕生により、その存在を疎まれ、ついには、自害へと追い込まれてしまいます。この城も、なんと築城から、わずか10年で廃城となります。
秀次の享年は28歳。時代劇などでは、頼りない人物というイメージがありますが、近江八幡を訪れて、彼は、とても優れた人物であり、文化的な造詣にも精通した人物だと知りました。時代の波に翻弄された悲劇の武将のひとりなんです。

さて、その八幡山にあるロープウェイは、約4分ほどで山頂へと到着します。
次第に、目の前に広がる町の景色を、ミモロは、夢中で眺めます。
「バイバイ…」それ違うロープウェイに手を振って楽しそう。


「ウワーいい眺め…」ロープウェイが到着した山頂からは、近江八幡の町をはじめ、遠くに安土の町、そして、琵琶湖など広々とした景色が見渡せます。

それほど高い山では、ありませんが、周囲に他に山がないため、その見晴らしは見事です。
京都からも近く、西と東の交通の要所でもある地だと、実感させられる景色です。
ミモロは、ただその景色に見惚れるばかり。


「きっとここからは、昔、信長の安土城がよく見えたよね。どんなだったかな?」
信長の安土城、そして秀次の八幡山城の2つの城が、一緒に聳えることはありませんが、この地域に住む人々は、きっと2つの城の悲劇を、目の当りにして、急激な時代の移り変わりを感じたことでしょう。

八幡山には、かつての城の名残りの石垣が山のそこここに。
大きな石で摘まれた石垣は、秀次の力のほどを示すもの。秀次が希望を抱き、築いた近江八幡の町と城。彼は、どんな夢を抱いていたのでしょう…。そんな彼の思いとは裏腹に、時代は大きく動きます。「本当に短い間しか、ここにいられなかったんだねー。もっといたかったのよねーきっと…」。
城から眺める琵琶湖の夕陽。湖面をオレンジ色に染める景色を、きっと秀次は、さまざまな思いで眺めたことでしょう。
ミモロは、秀次の思いを想像しながら、じっとはるかに広がる琵琶湖を見つめます。

現在、山頂には、瑞龍寺というお寺が。

そして、そのそばには、「金生稲荷大明神」が。「お金が生まれるお稲荷さんだよー。きっとお金持ちになれるんじゃない?」と、
さっそく熱心にお祈りするミモロです。


「さぁ、そろそろ京都に戻らなくちゃー」とミモロは、山を下りて、再び近江八幡の町へ。
と、その前に「日牟礼八幡宮」のそばにある「たねや」の洋菓子店「クラブハリエ」で、人気のベームクーヘンを味わいます。やはり忘れてなかったんだー。
「これ、前に食べられなかったんだー」と、以前来たときは、すでに売り切れ。「これで、前に来たときにできなかったこと…全部やっちゃた!嬉しい!」と大満足のミモロです。

そんなミモロの様子をお友達も、嬉しそうに見つめます。

「もう夕焼けになっちゃったー。あ、あれ、もしかして虹?」
夕暮れのオレンジ色を帯びた空には、一直線に、光の帯が下がっています。

なんとも不思議な景色です。虹なら、もう少しカーブがあってもいいはず…。それは、まるで光の柱が、聳えている感じ。「神様が降りてきたみたいだよねー」と、ミモロは、不思議そうに、そしてありがたそうに、その光が消えるまで、じっと眺めていました。

さぁ、急がなくちゃー京都に着く前に、日が暮れてしまいそう。
ミモロを乗せた車は、一路、京都の町を目指して走ります。


*「八幡山ロープウェイ」の情報は、ホームページで。



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近江八幡の町を舟で楽しむ「八幡堀めぐり」。白壁の蔵など、日本情緒も満点。

2012-06-18 | 歴史・史跡

約400年ほど前、豊臣秀吉の甥で豊臣秀次により、織田信長亡き後、安土の町を再建するかたちで、作られた近江八幡の町。今も、昔ながらの雰囲気が残る城下町です。
以前も一度、訪れたことがあるミモロ。「ここ来たことあるから、だいだいわかるんだぁ」と張り切ってお友達を案内します。


ここ近江八幡の町を形作っているのが、町の北側、八幡山の麓を東西に流れる八幡掘です。
この堀は、もともとは、豊臣秀次の居城、八幡山城を守るために築かれたもの。しかし、1580年代、琵琶湖と町を結ぶ運河としての役割を担うことに。近江八幡は、安土の町同様に、自由交易(楽市楽座)で発展。その当時、多くの商人たちが、ここから日本中にさまざまな商いを展開してゆきました。

今も、町には、立派な構えの商家の姿が、当時の繁栄を物語っています。


「この町の魅力を知るのには、八幡掘の舟に乗るといいよー。あれあれ」と、舟を指さすミモロです。
さっそく、八幡掘めぐりの舟乗り場へ。

実は、ミモロは、以前ここに来たときに、舟があるのを知らなくて、帰り間際にその存在を知り、乗りたくてたまらなかったのでした。今回、お友達の案内を口実に、ちゃっかり自分がやりたかったことをするミモロです。


屋形船のような舟で楽しむ町。約40分ほどの船旅が始まります。

「かわらミュージアム」の近くの船着き場から、白壁の蔵や橋を眺めながら、ゆっくり堀を進みます。

「わー古いお家がいろいろ見える…」
「ほら、お蔵もあるよー」

「あ、あの橋、さっき渡ったよねー」

舟からの景色は、歩くのとは違い、いっそう情緒あふれたものに。
訪れた時は、すでに菖蒲の花のシーズンは終わっていましたが、花の盛りの頃には、堀の脇に、紫や白の菖蒲の花が、彩りを添え、いっそう情緒ある景色に。


「あそこ、前に行ったことがあるー。お米を膨らませたポン菓子があるところの近所だー」
目の前に、次々に現れる町並に、もうミモロは夢中です。

この八幡掘の周りでは、よく時代劇の撮影が行われるそう。「そういえば、なんかみたことあるかも…」周囲には、電信柱もなく、また町の景観を損なう看板もありません。まさに江戸時代にタイムトリップした感じ。

掘の脇では、釣りを楽しむ人の姿も。

新緑のトンネルを通ったり。なかなか景色にも変化が。
舟の中を歩きまわり、両側の景色を楽しむミモロです。あれ?気づくと、ミモロは船頭さんのそばで、舟の操縦も…。

「お魚いないかな?」と、水を覗きこんだり…。舟を満喫しています。あまり乗り出すと水に落ちちゃうわよー。

「ね、近江八幡の町の様子がよくわかるでしょ」と、お友達に自慢気に。


「あー楽しかったー」満足そうな顔つきのミモロです。

*旅のポイント 観光地で観光船があったら、ぜひ乗ってみることをおすすめします。低めの視線で、景色を眺めると、歩くのは、違った景色が発見できます。もちろん歩くより楽なので、高齢者の方には特におすすめ。旅をしてるという実感もいっそう。

*「八幡堀めぐり」は、10:00~16:00(12月から2月は、予約制で、15:00まで)大人1000円。連絡先電話:0748-33-5020




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琵琶湖の東岸、近江八幡の周辺に広がる麦畑。風に波打つ黄金色の絨毯のよう。

2012-06-17 | 自然

初夏のある日。ミモロは、京都にやってきたお友達と一緒に、琵琶湖へのドライブに出かけました。

「京都には、何度も来ているお友達だから、今回は、ちょっと足を伸ばして、琵琶湖に連れて行ってあげよう…きっと湖の風が気持ちいいよー」と。


久しぶりの琵琶湖の景色。ミモロは、お友達を案内するはずなのに、もう車から見える湖の景色に夢中です。

ミモロの住む京都の平安神宮付近から、琵琶湖までは、車で30分ほどで到着できます。盆地で、周囲を山に囲まれた町に暮らすと、たまには、広々とした景色が見たくなるもの。琵琶湖周辺には、京都の人が週末を過ごす別荘やセカンドハウスが人気で、多くのマンションや別荘地が分譲されています。

「あーいい気持ち…この開放感がたまらない…」と、ミモロは、広々とした湖を眺めます。


さて、以前にも一度訪れたことがある近江八幡の町。琵琶湖の東岸にあり、豊臣秀次が築いた町で、今も、古い町並みや水郷が残る情緒あふれるところです。

前に来たときは、青い水田が一面に広がっていて、その景色も、とてもステキでした。

「あれ、今日、来たコースは、一面黄金色になってるー。今は初夏だからイネが稔っているはずないし…」と、車から降りたミモロは、その畑のそばに。


「なんだろ?」初めて見る景色です。

畑の畦道を、トコトコと進みます。

近づいてよく見ると、それは麦。
初めて麦の穂を見たミモロです。「写真では、見たことあるけど…麦って、北海道だと思ってたー」と、感激のようす。

確かに、日本国内の麦の主な生産地は、北海道。次いで、九州の佐賀県とか。

米の国内自給率が100%なのに対して、小麦は14%と、麦に関しては、ほとんどが輸入に頼っています。国産麦は、麺や麦茶などの一部に使われるそう。
近畿地方の産地は、滋賀県ですが、その生産量は、他の地域に比べ、あまり多くありません。


「ということは…麦畑が見られるって、京都の近くにはあまりないってことね…。わーこの時期に近江八幡に来てよかったー」と、うれしそう。

「いいなーこの景色…」目の前に広がる一面の黄金色の麦畑は、風を受けて、波打ちます。遠くでは、刈込作業が進行中。「こんな景色に出会えるって思ってなかったー」と、しばし眺めるミモロです。


「誰かさんと誰かさんが麦畑ー」ミモロの口から、麦畑の歌が…。


*琵琶湖周辺の麦畑の景色は、一見の価値あり。おすすめの初夏の景色です。ぜひ5月下旬ごろ、訪れてみて下さい。




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銘竹の専門店「竹平商店」。竹工芸師である先代ご店主による茶人の楽しみ、茶杓づくり。

2012-06-16 | ものづくり


日本建築や茶室などに使われる銘竹などを専門に扱う、大宮通と五条通の交差点近くにある「竹平商店」。
店内には、真竹、煤竹、しみ竹など、美しい竹材が、ずらりと並んでいます。

4代目のご店主、利田淳司さんに、竹のお話を聞きながら、見学したミモロです。

(余談ながら、利田と書いて、「かがた」と読むお名前、これはむずかしい…。)

さて、見学が終わったところで、先代のご店主である章司さんが、ミモロに、茶杓づくりを見せてくださることに。


利田章司さんは、茶杓、花入れ制作の優れた技術により、竹工芸師として「京の名工」にもなられています。茶杓づくりを本格的に初めて30余年とか。「うちには、竹が売るほどあるんで…」と、ニッコリ。作品の展示なども、いろいろ依頼されていらっしゃいます。
現在は、「NHK文化センター 京都教室」で「茶杓をつくる」という講座の講師も務められています。

ミモロは、章司さんと一緒に店の奥まった場所にある作業机のところに向かいました。
「茶杓って、お茶会いの時、お抹茶をすくう竹でできた細長いスプーンみたいなものでしょ?」そうですが…これが素人目には、同じように見えるものながら、なかなか奥が深いものとか…。
茶器が展示されている美術館にも、歴史上、名だたる茶道家などが作られた茶杓を見ることがあります。

「作るのって、むずかしいのかな?」ミモロは、興味津々の面持ち。

茶杓のポイントは、何と言っても、節。節のない茶杓はありません。

竹の節に趣がある竹材を細く削ることから始まる茶杓づくり。茶杓づくり用の節の位置を決める定規もあるんです。(もちろんこれも竹製です)

手に馴染む幅に削られた竹を、先頭部分の抹茶をすくうところを曲げるため、水にしばらくつけて、竹を柔らかくして、アルコールランプで、熱のかけ具合を慎重に調節しながら、ゆっくりと曲げて行きます。糸などで固定して、何日か掛けて、カーブを安定させるそう。

次に、丁寧に側面などを、小刀で削り、茶杓の姿を整えます。

何度となく、茶杓全体を眺めながら、微妙な加減で、竹を削る作業が続きます。


真剣なまなざしで作業をなさる章司さんの傍らで、ミモロもじっと黙って、その作業を見つめていました。


茶杓は、横からよく見ると、真っ直ぐではなく、微妙にカーブしています。
「抹茶をすくう時や茶入れに置いた時にバランスがよくないといけません。茶杓は、とてもバランスが大切なんですよ」と。
時折、小刀の作業を中断して、全体の姿や微妙なバランスをチェックします。

「もう少し…」と言いながら、アルコールランプに茶杓をかざし、親指で、カーブを加えます。

「茶杓は、節の部分を指の上にのせると、ヤジロベエのようにバランスが保てるようになっているんですよ」「えー知らなかった…」。お茶席でお茶を飲む専門のミモロは、実は茶杓は見たことがあるだけで、実際に手に持ったことはありません。

素人目には、よくわかりませんが、茶杓の削り方やカーブなどに、作る人の個性が現れるそう。

最後に、持ち手の端の部分に小刀を入れて、削る作業は終了です。そして、仕上げに、全体を磨いて完成。
「できましたよ…もってごらんなさい…」と、ミモロに完成した茶杓を。


200年以上たつという煤竹を用いた渋い茶色の茶杓です。


「今度、茶杓を見るときは、もっとよーくその姿をながめるようにします…」とミモロ。

「それ特別にミモロさんにプレゼントします」と。「わーありがとうございます。大切にします。あのね、うちにはお茶碗もお抹茶もあるの…えーっと後は、茶筅を揃えれば、お抹茶が飲める…茶道のお作法は知らないけど、お茶が飲みたいから…まずはミモロ流でやってみます」と、お茶への関心をいっそう高めたミモロです。


「ホントに、竹の世界も深いね…あんなにいろんな種類の竹があるなんて知らなかったー。しかも、どの竹材もすごく美しい…それを見られただけでも、感動もの…。茶杓の世界も、初めて知ったことばかり…なんか今日はすごくいろいろ学んじゃった…」と。

頂いた茶杓を大事そうに抱えて、ミモロは、「竹平商店」を後にしました。


*「竹平商店」の詳しい情報は、ホームページで。また、利田章司さんが講師をなさる「茶杓をつくる」講座に関しては、「NHK文化センター 京都教室」のホームページをご覧ください。



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