園長です。
あの東日本大震災から3年が過ぎました。震災以降、三陸方面へなかなか足が向かなかったのですが、復興の具合がどの程度進んだのか確認したくて、日曜日に視察に出かけました。国道45号線を一気に宮古まで向かいましたが、途中の海岸沿いの街は依然として建物は立っておらず、盛り土をしているのがせいぜいでした。山の中の道路は素晴らしい高速道路ができており、避難経路の役割もありそうです。海岸沿いにある町には、がれきまではいかなくても震災でできた漂流物がまだあちこちに積んでありました。「仮設住宅」もあちこちで見かけました。復興まではまだまだ時間がかかりそうです。東京オリンピックで浮かれていられない状況だと心から思いました。宮古市浄土ヶ浜の第一駐車場も仮設住宅が立てられ、避難生活を余儀なくされていました。あの観光地の近くに仮設住宅があること自体、不思議な感じがしたし、否応なく現実を思い知らされました。一日も早い復興を願わずにはいられませんでした。
朝8時に出発した「震災復興視察隊」(私と妻)は、浄土ヶ浜で念願の「青の洞窟」を「ざっぱせん」に乗って見学しました。波は穏やかでしたが、気温が8度しかなく、風が身を切るようでした。12時前だったのですが、青の洞窟は「素晴らしい…」という一歩手前の青さでした。やはり太陽の位置と季節が青さの要因だそうで、時間帯が悪かったようです。それでも洞窟の中に入ると神秘な世界が広がりました。洞窟の奥に穴がありますが、これが有名な「八戸穴」だそうです。昔、潮が引いた青の洞窟に犬が迷い込み、数日後に八戸の「種差海岸」で見つかったという話です。こういう話は全国に数多くありますが、それでも宮古と八戸の関係には驚かされました。
昼食に三陸名産の今が旬の「花見牡蠣」を食べようと、宮古魚菜市場に立ち寄りましたが、並んでいた牡蠣は「加熱用」でした。不思議に思い訳を尋ねると「花見牡蠣」は昨日で終わりました、という。今度は今週の土曜日に水揚げされ「牡蠣祭り」も催されるという。妻曰く「やはりねえ・・・。」。私は昨年は「雨男」、今年の入園式は「雪男」と呼ばれた男です。自分では自覚がないのですが、楽しいことを考えるとことごとくそれがだめになる男だそうです。そんなこと言われても困るのですが、とにかく牡蠣がないそうなので、マグロの刺身を買い、妻が「万が一」を考えて持参した「おにぎり」を車の中で食べたのでした。
さて、その後、北上山地を横断し、盛岡から国道46号線を秋田方面へ向かい、御所湖から横手方面に走る県道1号線を夕日に向かい走りこと40分。雪がまだ1メートルもあろうかという、西和賀町沢内に着きました。春どころではなくまだ完全に雪のなかでした。ここは「地ビール」発祥の地、沢内銀河高原ビールの工場があるところです。ホテルは工場に隣接していて予約があればいつでも見学可能だそうです。本日はここで妻と二人で「地ビール三昧」の予定です。午後6時30分に夕食の予定を入れ、5時過ぎには温泉の中に・・・。1日で約300キロ走ったので老体には堪えます。弱アルカリ性の温泉は、大根に味が浸み込むように「ジワリジワリ」と薬効が効いていく感じです。外の露天風呂も最高です。温度も適温。ビールをおいしくいただくためにサウナにも入りました。日曜日ということもありお客は約20名くらい。風呂は貸切り状態でした。
お待ちかねの夕食タイム。まずは「白ビール」。これは最近発売された飲みやすいビールで、私たちは「ビール1杯無料」の特権付きです。特権はすぐに使い果たし、4種類全部を飲み干しました。妻はビール党なので黒ビールとスピルナーを半々づつの「ハーフアンドハーフ」で最後の仕上げをし、私は、地酒を1杯。なんとも幸せな時間を過ごしました。
8時から「星空観測」があり、妻は浴衣の上からズボンを履き完全防備・防寒で天体観測に出かけました。私は・・・もちろん2回目のお風呂です。結果は、お月様が明るすぎてホシはあまりよく見えなかったということです。私は露天風呂から満点の星空・・・を仰ぎ見ていました。(眼鏡を外していたので、明るいお月様と2,3の明るい星しか見えなかった。)
翌日は、北上市へ出て、「展勝地」という桜の名所に立ち寄りましたが、「桜祭りは4月16日から」ということで、準備の真っ最中。ここでも「やっぱり」という妻のつぶやきを無視して、まだつぼみの桜並木を歩きました。出口で、大きな幹から直接咲いていた1輪の桜をカメラで撮影し、証拠写真としました。今回は500キロを運転し、肉体的には過酷な旅でしたが、とても楽しい時間を過ごせました。また機会を見て出かけたいと思います。