チャンピオンベルトをめぐるエト・セトラ
地元のイオンモールでプロレスのチャンピオンベルトが展示・販売されていた。(もちろん、レプリカだが)
子どもがいれば、端午の節句の兜の代わりに、こいつを飾りたいところであるが・・・と思いながら、見入ってしまった。
一般の人が懐メロを聞いて、当時の自分を思い出すように、我々も、チャンピオンベルトを見ると、それを巻いていたレスラーや当時の世相、当時の自分を思い出してしまう。
①NWF世界ヘビー級ベルト
言わずと知れた、アントニオ猪木ベルト。
当時のプロレス界を牛耳っていたアメリカのプロモーター連合巨大組織NWAに反発するように猪木はアメリカの4大組織の中でも最弱小のNWFのベルトを奪取した。
権威へのレジスタンスの象徴のような、このベルトを振り出しに数々の名勝負が産み出された。
あとにNWA世界ベルトへの挑戦権を得ること、新日のNWA加盟などを条件にNWFベルトから、世界の2文字は抹消された。
だが、結局、猪木がNWAに再挑戦する機会はなかった。
NWFベルトからWORLDの文字を残したのはその気概の表明か。
1981年、NWAを超えた実力世界一の象徴を作るんだとばかり、猪木はこのベルトを返上してしまう。
②インターナショナル・ヘビー級ベルト
こちらも、言わずと知れた、ルー・テーズ、力道山由縁の伝統的なタイトルの2代目ベルト。
力道山亡き後、日本マットを背負って立ったジャイアント馬場の代名詞となったベルトだった。
世相的には日本が右肩上がりの高度成長期に突入する時代で、馬場がアメリカの強豪と体力負けしない豪快なファイトを展開するのも印象的だった。
王道を重んじる馬場だったが、1972年、独立し全日を旗揚げするに当たって、インターベルトをあっさり返上した。
そのあと、このベルト保持者は、大木、ファンクJr、ブロディ、鶴田等と数奇な運命を渡り歩くことになる。
③ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級ベルト
通称UNベルト。このベルトはテレビ局の利権が複雑に絡み合い、日本に持ち込まれた歴史を持つ。
1971年、猪木がロスアンゼルスで獲得して、凱旋する。
プレスリリースで、猪木と新妻の倍賞美津子が、このベルトを手に太陽のような笑顔でインタビューを受けていたのを思い出す。
猪木は、その後、日プロを追放され、このベルトを返上。
インターベルトと同様、保持者も坂口、高千穂、鶴田、天龍らへと数奇な運命を渡り歩く。
最終的にはPWF、インターと統合され、3冠ベルトのひとつとなる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます