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(自作の絵を背景にして、たまごを立ててみました)
背景の作品は、2001年に描いたたまごの作品。この時期、たまご立てを考えたことはなかったのですが、15年後にうまく符号したものです。
たまごは、難度を上げて、ペットボトルの上でやってみました。
宗教でいう明け渡しの実践は、私にはありません。そこでは修行の末、一瞬で悟りを開き、完全な明け渡しが実現するように見えますが、私(凡人)が進む道は、一瞬で己を捨てきることが難しいのです。
現実世界と、悟りの世界を凡人らしく己の足で歩いて行くしかありません。
その意味は、たとえ明け渡しを体験しても、知性が完全に真実に身を任せたことにはならないということです。
必ずまた別の苦悩がやって来るでしょう。知性はいつであれ新たな欲望を生み出すからです。ですが私たちはすでに、その欲望にしがみつかないで手ばなす方法を身に付けました。
苦悩は相変わらずやってくるかもしれませんが、そのたびに私たちは己の中に自立しているたまごに身を任せて、苦悩を握りしめる手を開きさえすればいいのです。
苦悩と明け渡しのドラマを楽しむことが出来るようになれば、私たちは悟りの世界に身を置くのと変わらない境地に遊ぶことが出来るでしょう。
ところで私のたまごの作品を展示した、2001年の個展風景を付録します。
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