2023年邂逅展 展示風景
長年使ってきたpcが突然動かなくなって
これまで積みあげてきたデーターが全て消えてしまいました。
とても不便になりましたが、今出来ることを駆使して記事を続けます。
いつかこうなると思って、代替のものを用意していたのですが、
つい使い勝手が良い古いものを使い続けていて、
後の祭りとはこのことですね。
ところで、
第三の自我についての話で、つい先日、あるカンフーを修行している達人が訪ねてこられて
「気」について話し合う機会を得ました。
彼と深く語り合うようになったのは、
ある日私が、カンフーの動きを見せてほしいと話しかけた時からでした。
その時彼は、
基本だけをと言って私の1m前で向き合い、
気が付いたら私は一瞬で彼にからめとられていたのです。
私の目に入ったのは、
彼の両手が円を描き、私の腕をはねのけていく一瞬の姿だけでした。
私の身体は完全に支配されている状態になっていたのです。
「カンフーは円運動なのです。」
と彼は言い、私は感銘を受けて
「心と同じですね。」
その円運動でいともたやすくはねのけられた両腕の残像を思い浮かべながら、答えたのです。
殺法よりも心身の鍛錬に重点を置いているそうで、
その修行を集約したら、己の気をつかむということだと言いました。
型から入るのは当然だが、
やがてその型が必要なくなるときがくるのです。
彼は気をためる様なしぐさで話すのです。
①その時どうなるのですか?
「気」だけが残るのです。
②その気はどんな働きを?
自分の体調を整えるし、触れるだけで相手を跳ね飛ばすことが出来る。
気の力を解放してやることが修行の目的ですね。
⓷では鍛錬の意味は?
成長させて、何かを付け加えて強くなるのではなく
消すことで本来ある力を出し切ることです。
たとえば樹になる鍛錬では
幹を抱えるようにして小一時間動かないで立っている。
心の中でやっていることは、樹のイメージだけ見続けることですね。
④そうするとどうなうのですか?
樹は意志を向ける目標なので、樹に限らず目標は何でもいい。
心身共にその目標に向かい、その目標に成りきる鍛錬なのだが
自分がその目標に成りきるということは、その周りにある己が消えるということです。
⑤周りにある己が消えるということは?
余計な思いや、欲が消えて
己が樹という目標だけになるということ
⑥それというのは、般若心経でいう般若波羅密多ですね!
魂(たましい)だと思う
解放された「気」と言うのは、魂のことなのです。
⑦気も魂も、「空」ですよね。空はエネルギー
カンフーはそのエネルギーを使うということなのですね?
気を集めて解き放つ
言葉では簡単ですが、どこまで行っても上には上がいる。
修行の終わりはないですね。
⑧死ぬまで修行というのは、無限大のエネルギーを相手にしているからだと考えれば
とてもよく理解できますね。具体的にはどんな体感なのですか?
手のひらを上に向けてと言われてそうすると、
上から手をかざされたとたん
わたしの手のひらが暖かくピリピリする。
電気のようなものを感じるでしょう。
実際に身体が発光していることもあるのです。
⑨まるでドラゴンボールの世界ですね⁉
多少はあるかも知れませんね。
空を飛んだり、カメハメハなどは漫画ですがね。
⑩しかし実際我々は、原子レベルで見ると空に浮かんでいるのですよ。
考えたことなかったですが、確かにそうですね。
面白いですね。参考になります。
彼の帰り際に下の図を手渡した。
カンフーの修行に何か役立つものがあればと思ってのことだ。
「気」の話を聞きながら、彼の話を私なりに翻訳して考えてみたら、
彼の中で洗練しようと鍛錬している「気」というのは、
第三の自我のことではないのかと思ったからだ。
もしかしたら、カンフーの究極求めているものは
第三の自我にある螺旋に進んでいくエネルギーそのものなのかも知れない。
そのエネルギーは、全宇宙の力を集約しているとも言え、最強のものと考えることも出来る。
武術の神髄と呼べるだろうか。
(注)
彼の言葉は一字一句録音のようにではありません。
念のため
私が日頃持っていた疑問に対する答えがありました。
のしてんてんさんの質問は本当に核心とついているし、
その問うた者も
ご自身で答えていることを熟知していますね。
二人の問と答え、模範的な例教科書的だと思いました。
実は私も、この会話の中から、答えを頂きまして、皆様にも共有すべきだと思ったのです。
人間の本質についての認識ですが、それがたかが考えだと言うのではなく、認識そのものが実際に身体を動かしているという実感を持ったのですね。正しい考え方をすれば、現実に奇跡だって起こりうる。
人間の認識の力に気付きを頂いた対話でした。
この話には後日談がありまして、いずれ記事にして紹介したいと思っております。
体術を研鑽されている方の感性は、真逆に棲む私などには新鮮で、深いです。
『正しい考え方をすれば、現実に奇跡だって起こりうる』
これも核心をつくことばですね。
しかも、私も全く同じ考えの基に今、実践中なのです。
その実践を共有し合いませんか。
記事中の彼と、深い話が出来たのはつい最近のことですが、信頼できると思います。日常会話ではできないことを、相手を気にせず、気を遣わずに話せるという幸せを感じていました。何より魂が活気付くという感じで、互いに頬を紅潮させて喋っていました。
私の実践は、もっぱら第三の自我(真我)という考え方の正しさを検証することです。そのために自分の心を可能な限り見続けています。理解したことを説明する言葉が少しづつ簡略化されてくるのを感じます。
この気づきは真我に生きている証ではないのかと思ったりしていますよ。
次回は真言密教の空海が絡んできます。
深い心の宇宙を共に旅出来たら最高で^す^
共有するほどの内容も持っていないです。
真我の正しさを検証する、これは
気の遠くなるような道のりでしょうね。
私の場合ののしてんてん流の検証は
体作り、ですかね。
何の哲学も無ければ、
理論もバックアップしてないのですが、
バレエBody作りに励んでいます。
これ、本当にやった人しかわからない苦労で
でも、考えてみったら
のしてんてんさんならすぐにできちゃう?かなと思ったり。
40代に平均体重は41キロでした。
それがアメリカで豚のように暮らしていたら
59キロまで、はははは
その平均体重に戻るために、
しかも、筋肉質に変えるために、
誰もが見てバレエやってるじゃないの?と思えるくらいに、
でもまあー一度、豚になってた者
人間に戻るのが先でして。
すみません、私は低レベルで。
豚が人間に戻る程度の飼育検証なのです。
恥ずかしくて言えなかったのでしたが、
問われたので、事実のままを書いておきます。
コメント欄、汚くさせたようですみません。
あえて様と呼ばせていただきました。
レベルに低いも高いもないと私は思います^よ^
共有すべきは心なのです。心に高低は無いし、もしあるとすればそれは心が勝手に作り出した妄想なのでしょう。
私は感動しましたよ!。
あなたがここまで書けるということに。いえ、書かした私が反省しなければならないのかもしれませんが・・・
虚飾を嫌う桂蓮様ならではの言葉かも知れません。
私は思うのです。
「何の哲学も無ければ、
理論もバックアップしてない」
そう言えることがどれだけ素晴らしいかという事をです。
哲学であれ論理であれ、それは絵にかいた餅ですよね。私の倫理に惑わされないようにしてください^ね^
私だって何の哲学も、倫理もない。
ただの命なのですから。
ただ絵にかいた餅だからこそ、それぞれに自分の命が最上の自分に出会う独自の世界に気付けるのです。
分かる所だけ切り取り、役に立つところだけ自分の心に取り込む。それでいいのではないでしょうか。
共有すべきは哲学や論理では無いし、もしそんなことをしたら、またひとり、醜悪な独裁者が現れるだけですよね。
私が共有を呼びかけたのは、互いの無知なる純粋な姿の共有なのですから。
それに、私たちが共有できるものはそれしかないのですから。
バレエ、応援していま^す^