色彩は心を動かす
ほのかな赤
たったそれだけの色が
意味を生み出す
さあ、今、この瞬間、間違いなくあなたはスマホかPCか、それは何でもいいのですが、この画面を見ていますね。
その自分を意識してください。
真っ先に灰色の画像を見て、この文字を見ていますよね。
波の回転運動をイメージして自分の呼吸を意識しながら、もう一度画像を見てください。
その瞬間、感性が動いていることがわかるでしょうか。
ドキッとするとか、うっとおしいとか、さわやかだとか、心地いいとか。
真っ先に感性が動いているのです。
その次に「これは何?」がやってきます。
それが思考の働きだした合図。
「訳が分からん・くだらない」と速攻離れていく人
「吸い込まれそう・なんだろう」と興味を持つ人
「昔見た岬の風景・・・」と具体的な記憶をひきだす人
「妖精が飛んでいる・・・」みたいに物語を紡ぐ人
いずれにしましても、この様々な、個性的な反応を見て、私たちは共通点を見出すことが出来ます。
それは思考が行動を引きおこしているということです。
私たちは宇宙そのものであり、感性のかたまりです。
瞑想して真実に入っていく。
それは感性の中心に座るということだと思います。
その究極は、己を感性の中に消すということなのでしょう。
しかしそれだけでは、人としての行動は起こらない。
思考が必要なのですね。
まず感性があって、思考が働く
これが人間の理想的な姿だと私は思うのです。
先に例示したように、絵に対する反応はまちまちですが、それはすべて素晴らしいものだと思うのです。
なぜなら、それはすべて、感性から生まれた思考だからです。
感性と思考の統合とは、実のところこのことを指しているのです。
なぜことさら、そんなことを取り上げるのかと言えば、
私たちの思考は、その大半が、思考が思考を生み出しているからなのですね。
心配事、恐れや不安、羨望や嫉妬、金銭名誉欲、心に不幸をもたらすあらゆる思考は、思考が生み出した思考なのです。
思考が思考を生み出す構図は、もちろん良い面も在ります。科学はそれなしには成り立ちませんね。しかし、洗脳されて恐ろしい事件を引き起こすテロや、国家間のあつれき。原爆をおもちゃにして、脅しの道具に使う子供のような愚かさに気付かない世界。
それは思考が思考を生み出し、その思考がさらに思考を生み出して、もはや感性のかけらもない妄想が世界の運命を左右していることなのです。
しかしそれでも、
その妄想の生まれている源泉には、感性が働いている。
その紛れもない事実に気付く人間は必ずいるでしょう。
人類が、この先幸せな社会を築いて繁栄するのか、滅亡するのかという問題の根幹に、感性と思考の関係があるのだと思います。
もちろんそんな大きな問題を抱えなくても、
私たちがひとり一人、感性を見失わない人生を送ればそれでいいわけですから、ナウイズムの必要性は大きいのです。
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