見慣れた風景、いつもの生活、平凡な人生・・・・・
新鮮なものは何もない。
これも一つの苦です。気付かないぐらい緩やかな苦。退屈。
この苦を眺めていると分かってくることがあります。
それは、退屈の中に「私」を忘れてしまっているということです。
私たちは、風景に出合うと見ているようで見ていないことがよくありますね。
それは習慣が働いて本当の私を眠らせているのです。
退屈の苦悩は、分の生き方がが命の中心から外れているという警鐘なのです。
本道に帰りましょう。
今、この瞬間、あなたは立っているのか座っているのか、
意識をそこに持っていくと、呼吸する自分に出会えます。生まれてから今まで、休みなく続いている命を見つめることが出来ます。
退屈は、そのことを忘れていると教えているのです。
この命とともに、今、の瞬間を真心こめて生きたら、そこに至福が生まれます。
そして見えてくるものがあります。
見慣れた風景でも、この瞬間はまっさらな自分だと思えます。
そして必ず見つけられます。
いつもの道、その道端に、小さな花が咲き、虫が生きているということを。
苦から人は悟りを学ぶのです。
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