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複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)18 私の体験6

2020-10-10 | 般若心経を読み解く(五次元)

波動の風景 F10号 

 

 

心身共に健康と言います。

あるいは健全な精神は健全な肉体に宿る。とも言いますね。

人とは何かと尋ねた時、大半の人が身体に魂が宿たものだと答えるでしょう。

 

ところで、肉体はこの目で見て触れて実在を体感できます。私の肉体はこれだという明確な認識を持つことが出来ますね。私と私でないものの区別を疑うものはありません。

しかし精神の方はどうでしょう。心の中に間違いなく実在する精神的な実感を持ちながら、私達はそれを肉体のようにその全体像を認識することが出来ないのです。

瞑想して心を眺めてみても、見えるのは心の内側だけで、心の外の風景は見えてこない。それは何度も体験したことです。

それはどうしてなのでしょう。

 

私達は般若心経にまつわる今回の心の旅で、「空体」の存在に気付きました。実はその空体の認識が、冒頭の疑問の答につながるのです。

今回はこのことについて書いてみます。

 

なぜ心はその内側しか見えないのか。端的に言ってそれは思考の方法の問題ではないかと思えるのです。

四次元の思考は時間の概念で成り立っています。時間によって人は物質の変化を見ることが出来るようになって、物質の全様を知ることが出来るようになりました。しかし心は物質のような実体がありませんから、心を時間の概念で見ても、変化を目で見ることは出来ませんね。

心はただ感じて知ることしかできない。これが私達の四次元思考の限界なのです。この限界を五次元が超える。五次元思考によって空体の全体が像認識可能になるということなのです。

この話に入る前に、ひとつの思考実験をしてみましょう。

 

もし私達に時間の概念が無かったら、私達はどんな世界観を持っていたでしょうか。その世界観は三次元思考によって得られる世界ですね。

時間の概念が無かったら、私は自分の老いに気付きません。なぜなら若かった自分と今の自分を結び付けて考えられないからです。時間の考え方がないということは常に今だけしか認識できないという世界観なのですね。足腰が痛い。思うように体が動かない。その苦しい体感がなぜ今起こっているのか分からないで耐えるしかない人生を送っているのでしょう。三次元の私は、生まれたことも知らないし、死ぬことも知らない。三次元の私には自分の人生の内側しか見えないのです。とうてい自分の人生を客観的にとらえることは出来ないでしょう。三次元では一生心の動きに気付くことはないのです。

もう少し単純化して言えば、三次元思考は物質の中しか見えない。いわば輪切りにされたCTスキャン画像を観ているような認識ですね。時間というつながりの知識がないために画像を集めて全体像を認識する能力がないのです。

しかし時間の概念がこの情況を一変させました。たった一つの考え方の基準(概念)ですが、それを知ることで人間は心を生み出したのですね。このように考え方(次元)が大きく世界の見方を変えて行くのです。三次元人間から四次元人間の誕生です。

私達は今、四次元世界を認識することで自分の成長を知り、動いている世界を目にしながら生きている訳ですね。

 

そこで冒頭に戻るのですが私達は、日々自分の心を体感しながら生きています。もちろん心の良い面はたくさんありますが、同時に苦悩と付き合わなければならないことも事実です。これはお釈迦様の時代から同じだったに違いありません。

なぜなら、私達には心の内側しか見えないからなのだと思います。心を客観的に観ることは出来ないのです。観る前に心はすでにその先を動いているのですね。

四次元で見る心は、三次元で見る身体と同じなのです。

身体の全体の流れを知るためには、時間の概念が必要でした。

同じように、心の全体を見るためには、スケールの概念が必要なのです。

時間の概念を知らない人間が、自分の変化に気付かないのと同じように、心を見る概念がない私たち人間には、ただ感じるまま心に翻弄されていると言えるかもしれません。

 

しかしこれ以上言葉を連ねても、スケールの概念が何なのかを伝えるのは難しくなるばかりですので、瞑想の実際をそのまま書いて、この連載の最後としたいと思います。

 

ここでは瞑想しながら心の中を覗いてみましょう。

眼を瞑ると物質の世界は闇の中です、在るのは体感と頭に巡る思いだけですね。以下この瞑想の中にあるすべての感覚や思考をまとめて【私】と書きます。肉体ではない私の感性の総称をとりあえず【私】と表すのです。【私】とは自分の心の中に拡がっている感覚と思考の作りだすイメージに他なりません。それは物質ではなく空間に属するエネルギーの実感なのです。

瞑想してまず感じるのは体感です。ちりちりした感じが体の隅々からやって来て、呼吸の波の様なリズムが胸と腹部を動かしています。その深部にはかすかに脈動が感じられますね。そして様々な思考の残片が見えます。瞑想の達人はこの思考をよくコントロールして無を味わうのでしょうが、凡人の私にはついつい余計な考えも生まれてきます。

しかしそんなことは大した問題ではありません。五次元は凡人にこそ有用なのですから。しいて言えば達人には無用の長物でしょう。

大事なことは、瞑想して感じているこの感覚の世界を【私】だと思っている意識があるという発見です。あらためてその意識に目を向けると、その【私】の感覚は自分のからだの形をしていて、その中に閉じ込められたようにうごめいているエネルギー波のようなものです。自分の身体の形が記憶に残っていて、体感が自分の境界を教えてくれます。ピリピリとした肌感覚が【私】のかたまりを意識させてくれるのです。

この時、自分の大きさとは身体の大きさであり、その大きさは不変だという思い込が、意識に照らし出された【私】を限定していると考えます。自分の身体に閉じ込められている【私】を強く意識します。

しかし無心に【私】だけを眺めていると、その【私】は、簡単に大きさを変えることが出来きることに気付きます。ただ意識を変えるだけでいいのです。自分の身体の枠をすり抜けて行く実感は簡単に得られるのです。【私】は物質の身体を簡単に突き抜けどこまでも大きく広がっていきます。すると【私】の中に浮かんでいる地球や太陽や太陽系、さらに銀河へとイメージが広がっていきます。この時【私】の大きさ(スケール)は無限に巨大化しているのです。【私】を物質から解放すると【私】の中に浮かんでいる物体によって自分の大きさが分かる。【私】というのはつまり物質を浮かべている空間なのだと理解できるのです。これがスケールの概念であり、五次元の世界観となるのです。【私】とは空体であり、その存在が身体を守り育てているという五次元的気付きが訪れます。

何度も納得のいくまで瞑想を繰り返します。

【私】の大きさを自由に変えて世界を思いえがく。すると【私】を銀河の大きさで体感することも出来ます。その時【私】自身は銀河を浮かべている宇宙そのものの大きさとして己の空体を体験しているのです。

この時【私】は銀河宇宙を丸ごと自分という体感で満たされている実感に満たされています。今まで感じていたちっぽけな宇宙の塵のような自分とは全く違った【私】の存在を実感することが出来るでしょう。

さらに【私】を素粒子の浮かぶ空間だと考えたら、体内宇宙の感覚が【私】自身だという意識を持つことが出来ます。すると【私】素粒子を浮かべている空間の感覚を自分のものとして味わえるのです。

こうして自分の大きさに戻ってきたとき、【私】は再び自分の身体に閉じ込められているのではないという新たな理解の中にいます。その時意識はすでに逆転していて【私】は自分のこの身体を丸ごと浮かべている空間だという認識に成長しているのです。

【私】はこの身体に閉じ込められているのではない。それは逆に自分の身体を包み込んでいる空間なのだという感覚で満たされるのです。

私の身体を浮かべている空間が【私】だというイメージには、まるで子供を眠らせている揺りかごのような愛を感じますね。

意識を拡げて行くと、【私】が浮かべているものは私の身体だけではありません。地球や太陽、他者も動物も、細胞も素粒子も、すべてを自分の内に抱きかかえて存在させている。すなわち愛そのものだったのです。否、それが私たちが感じる様々な愛の原型だと私には思えるのです。

【私】がそれを知らないのは、身体を限りに自分を思い描く四次元思考に縛られているからであって、身体が全てという思い込を捨てて空という真実に気付けば宇宙そのものである【私】と巡り合うことが出来る。瞑想によってそんな体感を得ることが出来るのです。

 

般若心経では、この【私】に至ろうとする意志を「般若波羅蜜多」と呼んでその方法を教えてくれます。般若波羅蜜多の力が彼岸を達成すると。

それは五次元思考は無くても、深い洞察の力で、般若波羅蜜多の効用に気付き【私】の存在の真実に至る道を示してくれている、奇跡のような経典だと私には思えます。

さらに20世紀後半から科学が急速に発達し、空間の秘密が解き明かされ始めました。そのままでは認識できない空間にエネルギーという解釈が与えられ、見えない空間が波動という具体的な形でイメージ出来るようになったのです。

空体というイメージが事実無根のたわごとではなく、手を振り、息をするごとに存在を実感する空間の実在性を私達は事実無根とは決して言えないでしょう。信じようが信じまいが私の肉体はある。それと全く同等に空間は存在する。その空間が【私】という心の正体だったという理解が瞑想から生まれるのです。

そこにスケールの概念がまれました。

波長のスケールを意識するだけで目に見えない空間を思い描くことが出来るのです。別の言い方をすれば、銀河を思い浮かべるだけで銀河を一個分まとめて空間に浮かべている長大な波長のエネルギーを認識していることになるのです。

難しい話は無しです。無用です。ただ心に銀河を思い浮かべるだけでいい。我が子のように銀河のかたまりを抱いて愛すればいいのです、そうすれば【私】はちっぽけな存在から一転して宇宙そのものの大きさに姿を変えます。それは唯一無二の尊い存在であることに気付くのです。そしてすべての人が同じ尊さを持っているのです。身体は個別に生きる運命を背負っていますが、空体はただ一つの存在です。

誤解なきように言っておかなければならないことは、我が身をつくり上げている空間だけを捉えれば、【私】とは体に閉じ込められた魂ということになるでしょう。私固有の空間という考え方もできますが、それは四次元思考の産物なのです。体内宇宙の空間と体外宇宙の空間はただエネルギーの大きさが違うだけで同じ空間であることは、今の科学が実証していると言えるのです。

このエネルギーの違いを認識するということは、過去・現在・未来の違いを認識する四次元思考と全く同じ私達の能力であって、この能力の元に五次元思考は正しく成立するのです。エネルギーをスケールに置き換えて認識することで見えない空間を自分の「からだ」だと認識できる。これによってはじめて。心を我が身体のように、その全体像を眺めることが出来るのです。

空間が全ての根源である限りこれからたとえ何世紀をかけても、人間は四次元思考から五次元思考に成長を遂げ空体を理解し、すべての物質を育む愛に満たされた世界を築く可能性があるということです。

「生涯可能性の追求だ」中学卒業の日、私を廊下の脇に呼んで諭してくれた担任の手のぬくもりを今思い出します。

 

 

 

 

 

 

(以下参考記事)

 

(現在連載中 私の体験)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)17 私の体験5

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)16 私の体験4

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)15 私の体験3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)14 私の体験2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)13 私の体験

(量子力学を考える)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)12 量子力学との合流4

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)11 量子力学との合流3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)10 量子力学との合流2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)9 量子力学との合流1

(般若心経をどう理解するか)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)1

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)4

般若心経を読み解く? (五次元的解釈)5

般若心経を読み解く?  五次元的解釈)6

般若心経を読み解く? (五次元的解釈)7 一部加筆

般若心経を読み解く?   (五次元的解釈)8 追補

(以下は数回分をまとめた長文です)

凡人の語る宇宙論(アインシュタイン讃歌E=mc2)1

凡人の語る宇宙論( アインシュタイン讃歌E=mc2)2

 

 

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