国立新美術館で具体美術協会の回顧展が開かれている。
夜行バスを乗り継いで、観に行った。
そして、なにやらわびしさと、腹立たしさが複雑に絡んだ気分になった。
具体の仕事は素晴らしい。今見ても新鮮なものがある。
それが認められるのはうれしい。
しかし・・・
展示された作品は色あせて、動かないものさえある。
主宰者にどれほど悔悟の念があるのか疑わしい。
これほどの作品群を、
美しいときに目もくれなかったことへの悔しさが在るのか。
美しいときに、海外が評価する前に、
どうしてこれが出来なかったのだろう。
心の柔軟さが
これほど必要だと思ったことは
ないような気がする。
美しいものを、今美しいといえる感性こそ
日本人の価値なのだ。
国立新美術館の企画としての理解力はあそこまでなんでしょう。
お行儀よく美術をお勉強しなさいとばかりに押し付け教育の最たるものとして具体の作品とのアレルギー反応を起こしているのを見るのも一考でした。
それにつけても東京での展示は観客まで気取り気味。
やはり具体は関西にして生き 美術の世界を世界に発信し続ける前衛として今の時代でも問いかけていますね。