白髪 一雄 足で描くアクションペインティング (具体)
具体美術協会の中心メンバー、白髪一雄の絵は凄まじい。ネットで拾った一枚の画像でも魂を吸い取られる気がする。
この絵はこんなふうにして描かれました。
私の感じた修羅場など、あっさり飛び越しているというしかありません。
全身を絵筆にして描く。
これ以上はないですね。
これを0.5ミリの鉛筆でどこまで近づけるのか、
私の思いを表現すると、こんな感じになるでしょうか。
描くというところから飛び越えなければいけない境地があるのかもしれません。
立っている場所
持っているもの
創作意識と技術
すべては違っているけれど
どこかに同じものがあるはず
真似ということではなく
生きるという場所で大切なもの
つかめそうで
つかめない
なにか
つかめない
ー記憶
天からのプレゼント
平常時即臨終時(一遍上人)渦中
今!この今があることこそ奇跡
ピンチはチャンス好機到来絶好調♪
宇宙同根多種多様万物一体の
われわれそれぞれに
それぞれそなわっている
唯一無二のかけがえのない貴重な個性を大切に
宇宙と一体になりきり☆
のしてんてん天才になりきり☆
無心三昧1本無限大の鉛筆力を
ゆったりのびのび発揮しましょう
リラックスリラックス心身解放
宇宙今空間円相螺旋未知領域の
光響波動に乗りなが^ラ^☆♪
まかこ 拝
お疲れのご様子。いつもお世話になっているお礼に、たまにはお茶でも入れさせていただきましょうか?
紅茶?緑茶?ほうじ茶?
私は個人的にミントティー、結構好きですけど、疲れている時にはキッツイかもしれませんね。
修羅場が他人事と思えない私は、お茶でも飲みながらよもやま話でもするしか出来ません。
しっかし、ナンでヒトは(みんながみんなではないものの)、創作、したくなるんでしょうか?
別にやんなくっても死にませんよね(笑)。
それがたとえ……どんなに優れた芸術家だったとしても。
私は……子供を持ちたい本能に近い、かな?と、ちょっと思います。
別に子供、持たなくても死にません。
いない方が個人としては、精神的にも体力的にも経済的にも楽、でしょう。
でも……子供と出会いたかったんです、私は。おそらく……少女の頃から。
子供は私の遺伝情報を持っていますが、私には意味不明な部分もあります。父親(ダンナ)の遺伝情報が入っているから……でもありましょうが、それだけでは理解出来ない言動を取ったりもします。
彼(もしくは彼女)の親としての責任はありますけど、その全存在を管理するのは不可能。
親の思うように子供を育てるのも、まず不可能。
心身共にヘトヘトになるし……効率だけを考えたら、子供はリスク。
だけど子供は愛しい。
思うように育たないのに、子供を育てたい。
子供と出会え、育てる機会を持てて、私は良かったと思います。
子供は授かり物。あるいは、天からの贈り物。
この世界に、そもそもあった存在。
肉体的には私の一部を受け継いでいるものの、彼は私ともダンナとも違う魂を持った独立した人格です。
産んだ限りは彼が大人になるまで責任がありますけど、彼に対して私たち親が『こうしろ』という権利は、ない。
彼が彼として、人生を全うしてくれればいい。
絵も物語も……そんな要素、あるかな?と。
ハハの思いが強すぎて、過保護なオカンにならないように気をつけなくてはならないのが私の悪癖ですが(笑)
長々と失礼しました~。
お疲れの出ませんように☺ では。
「白髪一雄様の作品の域でない事にもかけがえのない価値がある」
素人の中にはこう考える人もいます。
私はレベルが低い故にピカソのキュビズムが未だにわかりません。
ただ箱根のピカソ館?でピカソの写実(レプリカ?)を見たことがあります※2階入ってすぐだったかと。
「悪魔のような」…戦慄という言葉がまさに当てはまる…これが写真でないなら”人の業ではない”そう思いました。
だからピカソは永劫に尊敬されるべき存在だと感じました。
残念でもあり、これも一つの真実と思います。
「天才の芸術を理解するには凡人では約50~100年の時を要する。」
白髪一雄様の域は理解を超えていますが、のしてんてん様の域はまだ1%ほど理解に届く…それもまたかけがえのない価値でもある、と。
ただし、もちろんではありますが、のしてんてん様の望むままに行くことが第一です。私にはいつかそこにたどり着ける…または永久にたどり着けないかもしれませんが…それでも見ていたいのです。
そして、むっちゃん様。 「子供を持ちたい本能に近い」…
「それしか出来る事が残されていなかった。この世界に生きた証を残す方法が。」
そういう人もいます。以下は駄文です。ただこの機会に子供の底辺を見ていただこうかと。
(確信を突かれ怯え半狂乱になりそうな心ではありますがひとつ。
愚かな息子代表として、親にとって最悪な存在。弱きもの、社会不適合者のひとりとして。)
それしかなかった。現実では生きる方法はなく、子供を育てる力もなく、ましては女性に振り向いていただく力もない。
そんな人間の出来損ないでも残せるものが”たまたま芸術だった。”という人もいると思います。
今いわゆるオタク(私も含む)という”現実では利にならないものに文字通り必死に生きる存在”が多くいます。
多くの父母は疑問に思い、正そうとするでしょう。
「なんでそんなくだらない、実利のないものに必死になるんだ。もっと現実的な事をしろ。」。
…そこにしか居場所がないんです。そこでしか生きていけないとわかっているから必死なんです。それ以外のところに出たら…本当に死ぬとわかっているから。
生きるに利とならないものに必死になる理由…それを失ったらもう生きる場所がない。そんな弱い人もいるのです。
聡明なむっちゃん様の子供には関係ないお話ではありますが…。
もしそうなりそうなら全力で矯正すべきです。
…私のようになる前に。ここで忠告することも私が生き長らえた理由でもあると。
「社会のレールから落っこちたものに待っている地獄に足を踏み入れるな」と。生ける屍からの…願いです。本当に!
(もし男の子なら特に。暴論ではありますが男は少なくても生殖数は維持できる為この競争社会、極限まで減らされる可能性が高いです。)
あの。おばちゃんのお節介ですけど。ちょーっと……煮詰まってらしゃらないでしょうか?
飴ちゃん、食べる?
お嫌いでしょうか?
私、オカンになってまだ十年の、新米ではないですがベテランでもない、中途半端なキャリアのオカンですが。
一応やってみて思うに
『子供は気ィー遣うことない(私、気ィ遣いの子供でしたので)』と『彼(子供)が彼として生きてくれたらいい』。
が実感です。あんまり、自分は親にとって最低とか……思い詰めないで下さいませ。
そこにしか居場所が無いなら、そこで生きれば大丈夫。
『彼が彼として生きてくれたらいい』です。
現実に対応しにくい生き辛さ、私も持て余して若い頃、生きてました。
ナンでしたらマスターに、後でこそっと聞いてみて下さい(笑)。
キリキリしていたJk!?むっちゃんの姿、彼は多少は見ていましたので。
飴ちゃん食べてお茶飲んで、マスターにナウイズムの話、のんびり聞いてみてください。
ナウイズムに、落伍者はないそうですよ。
創作は私がするのですけど、『私が』すべてを作って管理するのは、ムリ。
この世界に元から在るものを、私が見付けて彫り出す。彫り出すだけ。後は子供(作品)が、自分で歩く。
そんな印象を『こがらしのほこり』で学びました。
そこまでの修羅は肩で息をしながら越えましたけど……次なる修羅がやや怖い、です。
一言、すいません…だいぶ荒れていました…。まだまだ自分の手綱も握れない未熟さに反省…。
ただ、まだできることはやります。自分を許せなくても、今はそれだけを。
むっちゃん様、人生の先輩として、母親目線のコメントを…本当に有難うございます…!
ここ数日、お伺いできておりませんが、またおじゃまさせていただきますね。
宇宙同根多種多様万物一体
多様な姿が多様な形で花を咲かせる。
それがこの世界の理想郷なのでしょうね。
私たちは誰も、
その一員として
姿を現させていただいている。
そう思うと、身に起こるすべてのことが感謝すべきありがたい神様の贈り物なのでしょうね。
深くこの身を
宇宙同根多種多様万物一体 として添わせていけばいい。
そんな励ましを
頂いた気がします。
いつもありがとうございま^す^
人は結局、誰でもそうですが、よりよく生きたいと思うのですね。
人それどれに、形は違っても、その心の中心にあるものは同じだと思うのです。
その同じものを、私たちは互いに確認し合うために会話をする。
自分の理解できる言葉を紡ぎながら、相手の言葉に接する。
同じ言葉を使っても、互いの感じている意味は違いますし、分からない。
だから何度も何度もことばが必要になるのですね。
でも、私がうれしいのは、この喫茶室で、たわいない言葉を交わしながら、見えてくる自分に新しい発見があるということでしょうか。
様々な新しい言葉に接しながら、その言葉の裏に、見えないけれど共通にある心、よりよく生きたいという願いを信じることが出来たら、すべては許されるということなんですね。
落伍者はいませんし、己の居場所のないものもいない。
自分の価値は、今この場にいる自分の中にあるのですから、当然ですよね。
ここで交わされる言葉が、それどれの心の中で、自分のナウイズムと巡り合えるきっかけとなれば、マスターとして、喫茶室を開けている意味があると喜んでおります。
ですから、どうぞ気楽にお過ごしくださいませ^ね^。
自然な自分の言葉に、消去なんて考えなくても、ここのお客さんはみなさん、温かく真摯に接してくれますから、わたしはそれがうれしくてたまりません^よ^。
皆様、またご来店ください。
温かい飲み物を用意してお持ちして^お^り^ま^す^。