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心の方程式 物質から心へ(7)

2017-03-25 | 五次元宇宙に生きる(物質)

(CGによる心のデッサン 画)

 

認識というのは、私たちが知るすべてのものをさします。

 

詳しく言い直しますと、

論理的なことはもちろん、感覚やイメージ、予感や、不思議まで、およそ感じられ、想像され、意識される、一切のものがその対称となります。つまり目覚めて眠るまでの生活のすべて。

その中から認識するものを、自分との関係で理解していくのが認識ということになります。

 

たとえば、「パン」はよきものとして認識しますし、「ヘドロ」などは嫌なものとして認識します。「石ころ」は普通のもの、「未確認物体」は分からないものというように、常にそのものを自分の思いと共に認識しているということを押さえておいてください。

 私たちの認識は、コンピューターのように機械的に認証しているのではありませんね。

ですから、当然認識を記憶して知識としていく場合でも、コンピューターと違うのは、その知識にはすべて、(良い/悪い/普通/不明)という自分の評価がくっついている訳です。

その段階ですでに私たちは、認識と知識の個別性を見ておかなくてはなりません。同じものを認識しても、その認識は人によってみな違いますし、知識もまた同じことが言えるでしょう。

だからこそ、コミュニケーションの重要性が必要なのですね。

 

ところで。そのことを念頭に置きながら、前回の続きを旅することにしましょう。

この表でしたね。

宇宙意識から認識が芽を出すドラマをみてきましたが、今回はこの認識が知識となっていく様子を見ていきましょう。

 

 

それを表にまとめたのがこれです。

 左に認識、右に知識という柱を立てて、成長していく関係を示したものです。

 

その根本には意識があります。自己意識ですね。

意識は生まれたばかりの身体を内側から照らしだし、生命のリズムを「快・不快」という色付けで見始めます。この色付けは何度も繰り返されることによって、経験が蓄積され、記憶として残るようになるでしょう。それが知識の始まりだと思うのです。

一方、感覚は外界からの刺激を受けて、未分化だった外の世界を少しづつ分化させていきます。

何の区別もなくただ「これ」という認識で見ていた世界から、特定のものが区分され、世界から切り離して認識する力を身に付けて行きます。

「有る」という認識が生まれるのですね。

有無の理解が生まれると、記憶の働きによって、物の動きを認識するようになります。つまり空間や時間を意識できるようになるわけです。

物が動くということは、空間と時間の中で行われることですから、そのことに無意識であっても、動くという認識の中にすでに空間と時間の認識があるのです。

 

やがて赤ん坊は母親をまつようになります。それは身体的「快・不快」から精神的「快・不快」が生まれた証拠でもあるのです。

母を、身体的「快」を与えてくれる存在という意記憶が、母を見るだけで「快」を連想させてくれるようになるのですね。そして母親を「快」と認めるようになる。

それは「不快」の場合も同じことがいえます。

 

つまり、実際の「快・不快」だけを感じていた時代から、

まだそれは起こっていないのに、記憶の力によって、母を見るだけで「快」を思い出したり、不安を与えた者に「不快」を覚えるようになる。

つまりそれが精神的「快・不快」という訳です。

 

この精神的「快・不快」は生まれた瞬間から成長しはじめます。

認識と記憶が互いに関係しあって大きくなっていくのに伴って、精神的「快・不快」は際限なく膨らんでいきます。

 

それはさらに、「何?」という問いかけが生まれることでと爆発的に拡がります。

知識は、学習=経験という手法を手に入れることで自己増殖して行く訳ですね。

 

この精神的「快・不快」は、もともと身体的「快・不快」から生まれたものなのに、やがてそれを忘れて、精神的「快」だけを求めようと動きはじめます。そこに人間の苦悩が生まれてくるのです。

 

身体的「快・不快」いのちの営みに応じて現れます。

しかし。精神的「快・不快」は、もともと記憶の働きで生まれたものですから、実体はありませんね。実体がないから、不快を快に変えることもできる。

当然のように、人は「不快」を嫌がり「快」だけを追い求めるようになりますし、

麻薬のように、自分の身体を害しても「快」を追い求めるということさえ起こるのですね。

 

このように、成長した精神的「快・不快」は、未熟さのために様々な苦悩を生みだすことになったのです。

 

人間はそこから成長しなければなりません。

苦悩から逃れる方法は宗教などいろいろあると思いますが、それらのものに共通に流れている方向性を私は感じます。

その方向性は、生まれた瞬間に向っているということです。

 

その意味で、

五次元(スケール思考)は、この生まれた瞬間を貫いて宇宙につながる世界をイメージすることが出来る概念ですから、

人間が次のステップに成長するための道具となりうる。そう思うのです。

 

時間を手に入れた人間は欲しいものを手に入れようと働いた。

スケールを手にいれた人間は、欲しいものはすでに手の中にあることを知るのです。

 

 

 

 

 

 

 

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2 コメント

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お早うございます (延岡の山歩人K)
2017-03-26 08:04:12
 >CGによる心のデッサン 
さすがに のしてんてん様の心は 微妙ですね
よく理解できませんが 異次元の世界の様です。
自分の心は・・
う~ん 考えもつきません
多分 空白かな(^^)/

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おはようございま^す^ (のしてんてん)
2017-03-26 09:01:28
空白!!
いいですね。

なんだかわかるような気がします^よ^

友人に久住の山のことを話したらあの山は100名山の中でも一番美しいと、山歩き人さんのことをうらやましがっていました。

真っ白の心に写る山の姿
これ以上のことはありませんから^ね^

これからも、
私の心を美しい山に連れて行ってください。

楽しみにしていま^す^¥
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