自我の思考で見えているものはすべて自分を中心に据えた世界と言っていい。
注意深く自分の思いに目を向けてごらん。
どんな思いにも、さりげなくあなたの感情がくっついているのに気付かないだろうか。
喜怒哀楽の根っこがそこにあるんだ。
感情というのは、それがあなたにとって良いか悪いかを表しているもので、まさに自我の思考の根幹にあるものだ。
良い、悪い、普通、分からない、
自我の思考は、この四つの評価を無意識のうちに下して観ている世界のことだと言える。
自我の思考を続ける限り、人はこの私空間から出ることはできない。
どこまで行っても、自分しかいない世界だ。
何日前だったか、枝雀の世界を紹介したテレビ番組を見た。笑いを作った男。その枝雀がつくりだした芸に誰もが津波のように笑い喜んでいるのに、彼はそんな自分を「良し」とみることができなかった。芸を追求する心が自分を「悪い」と判断して、ついには自分を死に追い込んだ。
これが苦楽の世界、自我の思考の不幸な側面なのだ。
99パセントの人が「良し」と絶賛しても
1パーセントの自我が「悪い」と判断すれば、そのものにとっては、救いようのない苦の世界に見える。救いは何もない、孤独の中で苦しむしかない。
これが自我の思考が作り出す苦楽の世界なのだ。
鬱に悩む人がいたら声を大きくして言いたい。
自我の思考から抜け出して、あなたは神の思考を手に入れることができる人なんだと。
苦しみが深ければ深いだけ、あなたは神の思考に近づいている。
自分を傷つけ殺したいと思うその瞬間、あなたの握りしめている手を緩めて自我を手放すだけでいい。自分を殺す前に、あなたは神に巡り合う。
握りしめ、抱え込んでいる全てのものを闇の中に捨て去るだけでいい。
それだけであなたに至福が訪れるだろう。
神の思考があなたの中で広がり始める。
やがてあなたは、自分が、この愚にもつかぬ自分が神であったことに気付く。
私の絵は
そんな叫びを現せるだろうか。
あとひと月余りで定年退職。家族を食わせる義務から解放されて、晴れて自由の身になる。その自由をすべてそのことに費やしたい。
それが私の本願だと思う。
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