心が宇宙とともにある。その理解が与えてくれる感覚はセックスのただなかにいる至福と言える。宇宙との交合はヒトもネコもすべての生き物に等しく与えられたまさに至福のシステムだ。
私はこの理解が、行き着くべき最後の地点だと思っていた。
その思いを揺るがせ、私を再び苦悩に突き落としたのは何か。
癌病を患いながら、僧職を全うする住職の姿がなぜ、私に苦悩を与えるのか、それがわからなかった。
原因のわからない、つかみどころのない苦悩が全身に張り付いてくる。そこから逃れようとする日々が何日も続いた。
早朝の草引きに向かって歩いているときに、そのひらめきが起こった。
「このつかみどころのない苦悩は己だけの苦悩ではないのかと。」
「お前は己のために己の苦悩を取り除こうとしている。己のために苦悩を引き起こし、己のために苦悩を消そうとしている。これが我執だ。
「お前は己のために存在しているのではない。宇宙と一つになるために今ここにあるのだ。そのためにお前にしかできない働きをしなければならない。その役割に生きることこそ至福の道だ。」
そう思い至ったとき私の心に「本願」という言葉が大きく響いた。
御住職の姿は、「本願」そのものだったのだ。
私の生きるべき「本願」はどこにあるのか、私は初めて光をつかんだような気がした。
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