今回はここから一気に完成へ向かいます。
全体をひろげられないのでなんとなく気付かずに進んできたのが、今ようやく見えてきました。意識が及ばないと大きな誤りにも気付かないという事が分かりました。
全体がまとまり始めて、あれ、龍の身体どうなってるのと疑問が↓
胴体のイメージがダブったまま進んできたと分かりました。デッサンの際に、イメージをふくらませ過ぎて、龍の動きを右隅からせり上がる力(お腹の部分)と、横から飛び出してくる力(背中の部分)をどちらも捨てずに進んできた結果の画面です。
全体の渦の流れに乗って、宇宙の存在を示したいのなら背中のエネルギーを活かさなければならない。という訳で、腹の部分を大幅に修正。↓
これでようやく、空間に龍の身体がなじんでくれました。
胴体に統一感が生まれると、気流が流れ始めます。これはおそらくどんな絵画でも共通することではないかと思われますが、絵が心とつながるかたちなのかもしれません。
抽象、具象にかぎらず、絵が心の中で安定するかどうか。意味の前に、そんな心の反応がある。これが絵を見るという事なのかもしれません。
作品の上部を整え、↑ そして目を入れる↓
大きな画面の中の10㎝足らずの目、これが大変でした。わずかな変化で絵が全く意味を変えます。この日いいと思った目が、翌日には別の感じ方が生まれて意味を失う。
何度眺めても、ココロが納得するという形はたった一つなのかもしれません。全体で絵を感じる一番面白い時間が最後にやってきます。
目は、内側と外側を同時に眺める目に決めて、ようやく完成です。最後定着用のニスを施して作品を確定させます。
権威や権力を持っている龍に見えます。
人間の権威を超えた力
動物系を超える権力を持っているようです。
それが権威や権力でなかったら
それ以外の力を持っているようです。
重さを描いたのですね。
重さを持って飛べる龍ですかね。
人間の力は限りがあるのですが、
この描かれた龍はその限界が無いようです。
自分の心がその一点から宇宙につながって行く。そんな実感が持てる形を探りながら描いたものです。
そんな描き方がどこまで通用するか分かりませんが、Keiren様にそんな風に感じて頂けたのはありがたいことです。
絵になるのは、何を描くのかは関係なく、描いて、その中に入って、自分の心がどちらを向いても納得出来て坐っていられる。そんな絵が出来た時なんですが、それがそのまま宇宙につながって行くそんな気がしています
作品の前で座っていると、心が鎮まっていい時間を過ごしています^よ^
最初の感想は(その後、アップ写真での筆記の細かさや全体の濃淡・奥行が生みだす光景などなど雑多に湧きましたが)
「…あぁ………(言葉にならない感嘆)」
…でした。もう…技術が凄いと思わせるのではなく…『説明無しに、すごい=こういう事』、そんな領域を感じました。
”絵が心とつながるかたち”その言葉通りだと。
私には”空間”の感性を感じました…が、人によって違う…自由な感じ方が出来る:空想にして心象の絵画、だと。超全なはずなのに、どこか心に近い…そんな感覚があります。
※閑話
芸術からはだいぶ離れた身ではありますが
”この日いいと思った目が、翌日には別の感じ方が生まれて意味を失う。”
…本当にお疲れ様です。画竜点睛と言いますが…作品はすべからく『顔』の成否が全てを左右してしまう…気がします。
その中で”何度眺めても、ココロが納得するという形はたった一つなのかもしれません。”と形になったこと、脱帽です。
(…コメントにならない、でもコメントにしたい…コメントしないで伝えないというのは嫌だ…)
そんな中での文なので、いささか文がガタガタになっていますが
心から…『おめでとうございます!そして素晴らしい絵画と作者のしてんてん様に…感謝を』
折師さんの飾らない文が、私には直接心がつながるような気がします。
ありがとうございます。こんなに真剣に向かっていただいて、本当に描いてよかったと思いました。
折師さんの感性は、
「芸術からはだいぶ離れた身」なんかでは決してありませんよ。わたしはこんなことをやりながらいつも思うのですが、芸術というのは人生そのものなんだと。
「芸術からはだいぶ離れた身」と思うコトもまた芸術。人生、負に感じる事と正に感じる事の美しい調和が必ずあると感じています。
ここに在るという事が100%正しいのです。
私には折師さんのコメントからそう思わされます。
共にがんばりましょうね。