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(テーブルクロスの上、繊維の目があるのでムツカシイ。)
たまごが自立するのを悟りの終着点だと考えると、たまごの歴史が見えてきます。
こんな感じ。
創世記: 宇宙空間をまるごと殻の中に取り込んで、真実のたまごが生まれます。
萌芽期: たまごは、母体の中で人のかたちをつくり始め、その中で成熟していきます。
誕生期: やがて私が生まれます。疑うことも知らず、私とたまごはまだ一つのものでした。
形成期: 知識を持つようになると、私はたまごを忘れ、知識の上に人格を形成します。
迷走期: 知識の光にたまごは完全に見えなくなります。その存在を考えることもなく、富と見た目の幸せをを得ようとするあまり、苦悩が蔓延するようになります。
光明期: 苦悩の闇が、再び私にたまごの存在を気付かせてくれます。たまごの中にある至福に気付くのです。
求心期: 存在に気付いた私は、たまごを追い求めます。捕まえ、握りしめ、たまごを壊すことさえあります。悟りの世界に気付きながら、悟りを得られない時期です。
開花期: 至福と苦悩の螺旋を登りながら、たまごは知識で触ってはダメだという理解に達します。「たまご」の意味をはじめて知ります。
入門期: たまごと、知識の分別が出来ると、ようやく、心の中でたまご立てが実践できるようになります。たまごを支える指が、知性そのものだと理解できたものだけが出来る実践です。
成熟期: たまごが指に寄りかかるのは苦悩です。苦悩から逃げないで押し返し、たまごが自立する位置を探っていく。苦悩はどの時期にも生まれますが、この時期になると苦悩はたまごを自立させるためのシグナルであったことがよくわかります。
覚醒期: コトンと、腑に落ちる音がして、見事にたまごが立ちます。そっと手をはなし見守ります。私は、創世記のたまごと再会します。知性はそこに光をあてるだけの役割だったことに気付きます。私はたまごのありのままの姿を照らし出す光だったことに初めて気付くのです。
創世記のたまごは無明の中にいます。
光をあてて、たまごの中にある真実の宇宙を自覚する。その美しさと存在の至福を味わうのが私が生まれた理由だと理解するのです。
今日はこの辺で、
たまごの至福をともに味わいたいですね。
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