空間に向かう新たなる道を求めて、未知なる世界を探索する旅。
いかがでしたでしょうか。
しっかりと、上手にご案内できなかったことは心残りですが、いよいよ私たちは出発地点に戻ってまいりました。
気分の悪くなった方はおられませんでしたか。
スケール号の窓をご覧ください。すでに終着駅到着です。己に対する執着駅。
私たちはここから出発して、そして戻ってまいりました^よ^。
今回の旅のご案内で、私自身が気付いたことがありました。
それはまさにこの「執着」ということばが見せてくれる風景です。
「この私は、執着のかたまりだという事実」を、風景にして目に焼き付けることが出来たというのが成果と言えばうなずけるかもしれません。
私がアッと思いましたのは、
「執着」という言葉を、ぼんやり眺めていた目に老眼鏡をかけたような気分で、その細部がよく見えるようになった。その執着の風景でした。
その風景とは、
「執着」が時間を作りり出しているということです。
ナウイズムを提唱するとき、「時間は実在ではない。」と申しましたが、
それもそのはず。「時間」はこの実在の執着が鍬をふるって、せっせとつくり出していたのですから。
考えてみてください。
過去→現在→未来
実在は、この身。
成功しようが失敗ししようが、口に入れたおかきの一欠けの味そのもの。
その瞬間、私たちはその味を体験していますし、その体験に過去や未来はありませんね。
そしてもし、
私のいう意識の地平を手に入れて自由に宇宙を旅しはじめたら、その旅にも過去や未来はないのです。
意識の地平は実在そのもの、その大きさは宇宙そのものですから。
(ここ分かりにくいでしょうね。しかし分かろうとしてはいませんそれが執着なのですから。分かる必要はないという理解が大切です。何かを感じればそれで十分です)
つまり、実在には過去も未来も存在しない。
存在しないから生み出すのです。
実在の執着がせっせと時間を生み出している。その風景を眺めてきました。
時間を悪者のように言っていると感じたら、それは誤りです。
私はその時間に愛情を持っているのです。
執着が人間そのものであるように、そこからうみだされた時間も人間そのものですから、この愛すべき時間とどう付き合っていくのか。
これが人間の永遠のテーマだと思うのです。
今回の旅の終着駅は、もとに戻った杜子春の立っている風景と言ってもいいでしょう。
「吾は空なり」
そのふくれて浮き上がったバルーンをつなぎ止めている糸。
それを切る必要はない。
その糸をのばせばいいのです。
人間は苦悩を抱えます。
しかしその苦悩を無理やり切りとる必要はない。
糸をのばして大きな視野で苦悩をながめる智慧さえ身に付けたら、私たちは苦悩と共に楽しくやっていけるのです。
すると自然に執着は落ちていく。
私はそのことを信じてもいいと思うようになりました。
幽体離脱など望む必要もないのです。
ありがとうございました。
寒波が来ております。
暖かくして、足元に気を付けてタラップを降りてくださいませ。
又の乗船をお待ちしております。
てんてんさまが言わんとしていることの何百万分の一くらいのところにたどり着けたでしょうか?
たどり着けないにしても、パチッと雷の刺激を感じて、少しは成長したかもと? 有難うございましたm(__)m
御いくらでしょうか?
駅長さまから買えばいいですか?
運転手様から?
私は旅経ったら絶対戻りたくないですね。
こんなに望んでた旅に行けて、すっきりしています。
清々しいかな~~
今は…情けないことにストレスとの戦いの真っ最中。
理想への想いはチカラにもなるはずが自分の苦しみにしかできていない現実(単に仕事や会社の同僚との折り合いが下手なだけですが)
そんな中で旅と言う形で、のんびり歩くきっかけとなったこの10編の旅に感謝を。
まだまだ未熟なのか、毎日書いたり、心の制御が下手だったりですが…こういった記事から学び…再び何かを作り出せる日まで
…もう少しこの旅の日記を読ませていただきます。
貴重な体験とそこから見える世界に感謝を!
拙い私のブログですが目に留めて頂きとても嬉しかったです。
最初の雪の結晶の絵(ですよね)は、のしてんてんさんが描かれたのですか?
何度も何度も拝見して もう、これで5回目です。
また少しずつ以前の日記も拝見させて頂きますね。
船から降りたら 少し頭痛気味です (^^)/
お疲れ様でした
杜子春は芥川龍之介の作品ですが、原作があるようで、調べてみたら、鄭還古(ていかんこ)という中唐の詩人だそうです。
面白いのはその内容で、身内の責め苦を見て悲鳴(声)を上げるのは同じですが、そのあとの展開が正反対ということです。原作は、「声を上げなかったら仙人になれた」と、杜子春は修行に失敗するのですが、芥川は「声を上げなかったら殺すところだったと」修行の成功を告げます。
そう考えますと、私たちの小旅行は、芥川の世界を旅したことになりますね。
バルーンの糸を切ってしまえば、鄭還古の杜子春になっていたでしょうが、私も芥川でいいと思います。
からさんの見識も素晴らしい。
同じところに戻ってきても成長している。
人はこうしてたゆみなく、同じことを繰り返しながら螺旋のように進んでいくのだと思います。
進む原動力は、人間賛歌。
そう思って、ともに進みましょう^ね^
お客様を預かって旅する以上は、その責任がございますのでご理解くださいませ。
おそらく神様も同じ考えだと思います。
生を与えて、私たちに旅をさせてくれますが、最後は元に戻してくださる。
旅を終えて、同じ場所に帰る私たちですが、その手には持ちきれないお土産をかかえています。
そしてもちろん片道切符で充分でございますよ。値段は、どうぞ天秤の片側にお乗りください。
その反対側の皿に、旅の心を乗せていただいてつりあうものを、販売所窓口でお支払いください。
以前ご案内いたしましたように、販売は皆さまの中にある出張所で行いますので、間違っても他人様の窓口で支払いのないようにご注意くださいませ。
今回の旅行、お気に召していただけまして、ありがとうございました。
何よりスケール号が喜んでおります。
又のご搭乗お待ちしております^ね^
人生さん、私が延々と繰り返してきた道です。大丈夫。大丈夫です^よ^
苦悩は、大きければ大きいだけ、それを乗り越えた喜びは素晴らしいのです。
大きな苦悩は無駄にあるわけではないです。
神さまは、その人に、乗り越える力のある分だけ苦悩を与えるのです。
苦悩は、あなたの持っている力の証明だと信じてください。
創作の喜びが必ず、苦悩以上のものを与えてくれます。
人を喜ばせる創作を一緒にやりましょう。
ナウイズムで^す^
あんな不思議な霜柱、見たことありませんでしたから、たかさんのおかげで体験させていただいて、こちらこそ、御礼申し上げます。
そして謝らなくてはなりませんね。
表題の雪の華、
あれはフリー素材で拝借した画像です。表示してませんでした。私のミスです。
私のデッサンと思われて、何度も見ていただいた何て、本当に申し訳ないことをしました。
心よりお詫び申し上げます。
お礼とお詫びになってしまいましたが、今後ともよろしくお願いいたします。
たかさんに、良き年でありますよう。一日一日を健やかにお過ごしください。
後手になりましたが、酔い止め、お使いくださいませ。
山の空気を処方しております。
自分の足で歩いていただきましたら、徐々に回復すると思います。
ご搭乗、ありがとうございました。
今度は私を延さんのリュックに入れて、連れて行ってくださいな。
山の空気、もう何年も吸っていませ~^ん”