晴れて自由の身になった初日のスタートは皿洗いから始まった。
自由の実態はお手伝いさんだったのか。
喜びもせず不平も言わず、注文をこなす。
そして浄光寺の「浄土」奉賛会はひと月後に迫ってきた。最後の組作品「浄土」本願は、ただ己を眺めることに徹して作品と向き合おうと心に決めている。
皿洗いの心境で、焦りもせず、自分にとらわれずに心に映るものを眺めればいい。
洗ってやという妻の言葉に、なにお!と思ったらとたんに我が醜悪なドラマを作り出す。それが人というもので、心はいつも自作自演の演芸場だ。
洗ってやに支配されないためには、さあ洗おうという心を自分の中に起こせばいい。すると流れ落ちる蛇口の水も楽しいドラマに変わる。
すべての支配から自分を解放して見えてくるもの、その一つがハスの実だった。
さてどんな絵が生まれてくるのか。
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