(色即是空)
1
心が悲しくなって、
私は瞑想に入った
悲しみが消えるまで
二度と結座を解かない
そう決心をして
私を一色に染めている
悲しみは
見詰めればそれだけ
私の頭脳を登って行った
そしてそれは
頭脳の中にしかなかった
悲しみに痛む
この胸の波動は
頭脳と連動していた
狂おしい胃袋の重力は
頭脳の重さだった
私は何度も
変化があるまで
待ち続けた
頭脳と胸と胃袋を
監視兵のように
サーチライトを
廻らせ続けた
胸のつかえは
悲しみではなかった
胃の痛みは
悲しみではなかった
ただ頭脳だけが
無きものから
悲しみを造り出していた
悲しみが去るまで
決して動かない
結座を解かない
・
・
足が
痛くなってきた
すると面白いことが起こった
心が悲しみを離れて
足の痛みに苦悩を始めたのだ
動いてはならない
それはすべてを無駄にする
動くな
それが苦しみの元凶となった
自分の決め事が
修行僧のように
破る恐れを産みだしたのだ
幸いなるかな
私はにこらえ性がなかった
身体が自然に動いて
痛い足を組み替えた
痛みが消えた
すると
気付きがやってきた
頭脳が
何もないところから
戒律をつくっていたのだと
戒律を破ったら
痛い足は解放された
身体がそれをやってのけたのだ
と
戒律は
怖れの化身だと知った
何の意味もなかったのだ
そして不思議なことが起こった
痛みが消えると
その同じ場所に
悲しみがあった
それは悲しみを消すヒントだったのだ
龍はいないのに龍ということは、季節の中にも見られますよね。
山が燃えるようなもみじに見えない秋を思い描き、セミと言えば夏を思い描く。
>色ハ空ニ異ナラズ。空を求めたら色のオンパレードナラズヤ
自由律の句をありがとうございまし^た^
天を見上げると虚ろなる青空に雲が浮かぶ。本当に空なのかと何気なく思って見つめていると、雲に影がある。影の中に赤も緑も見えてくる。空と思っていた見上げる場所に色のパレードが行進しているのですね。
数日前、朝日が昇るころ見事な虹の二重橋をみました。
これはちょうどいい機会でした。
なんとなく流されてきましたが、自分の本来やるべきことは何かということをあらためて気付かされる結果となったことは、慶賀というしかありません。
今回の問題は、何よりこれまでの私の甘さであったのです。
それに終止符を打ちなさいと言う天の声が聞こえました。
私の背中に龍がやって来てくれました。
くすんではいますが黄金の龍が私の気を飲んでくれるようになったのです。
毎日龍と対話していますと、苦悩が一つ一つ喜びに変わっていくのがうれしいです。龍に苦悩を味あわせてはかわいそうだと思う心が、私を確かに変えつつあります。
のしてんてん喫茶室は、閉じるべくして閉じたのです。それは私の成長です。龍がそう言ってくれました。
のしてんてん喫茶室は、もう私には必要ないということです。ですので、お二人が思い悩むものは何一つありません。
これ以上負の思いを持ち続けないで、プラスに転換させて下さい。
のしてんてん喫茶室として、長いあいだお付き合いいただきましたことに、心より感謝申し上げます。
龍を描いて、龍を出さず。
描いていないのに、龍ですね。
雲海の中を彷徨ふ龍ではなく、次の自分を探し回る龍と思ひました。顔を出す暇も無いほど。
又、お邪魔します。
愚詠
色ハ空ニ異ナラズ。空を求めたら色のオンパレードナラズヤ
むっちゃん様には、
少しも悪いところなど、
ないのですよ。
すべて私がいけないのですから、
今までのように、
「のしてんてん喫茶室」の
頼りがいのある温かい
常連のおばちゃん☆
時にはのしてんてんマスターの替わりの
人情味あふれるどっしりとした優しいママさんでいらっしゃってください。
そして、
「喫茶・のしてんてんにようこそ」も
是非とも完成なさってください。
のしてんてん喫茶室から、
むっちゃん様がいらっしゃらなくなりますと、のしてんてん喫茶室も閉店です!
私も心苦しくて、
改めまして、申し訳ございませんm(__)m
心より御詫び申し上げます!
どうぞよろしくお願い致します。
まかこ 拝
蒸し返すつもりはありません。
しかし、結果としてそうなってしまうだろうという恐れが大きいのでその意味からも悩みましたが、やはり書かせていただきます。
ご不快な場合はスキップ下さい。
私は哀しい、は、かなりむき出しの本音でした。
私は長く、このブログのブログ主が恩師であるという個人的な甘えもあり、かなり好き勝手に遊ばせていただいていました。
その前提、『好き勝手出来る』前提が、意見や考えに違いがあっても、立場や環境、年齢性別国籍に違いがあっても、好きや嫌いがあっても、ここでのジャッジに相手の人格の否定や完膚なき追い詰めはない……私が個人的に『地球の爆弾すべて花火となれ』に込められている精神と捉えていたものに通じる、風通しの良さを想定していました。
私の知るブログ主の人柄からもそうだろう、と。
彼は懐の深い人物ですから。
もちろん私だけでなくすべての喫茶室のお客、つまり、このコメント欄にコメントする人すべてに、この風通しの良さは当てはまるのだろう、と思っていました。
もちろん私の勝手な、あくまでも個人的な解釈ですが。
だから非常に驚き、次に非常に哀しくなったのです。
しかし私の『哀しい』という表明は、完膚なき追い詰めになってしまいました。
もちろん本意ではありませんでしたし無意識でしたが、結果がすべてです、あちらでも書きましたが。
私は、この喫茶室の風通しの良さと自分で想定していた部分を、自分で破ってしまいました。
ZIP様の諭しでそこに気付き、でもどうしていいのかわからず、マスターことのしてんてん画伯の謝罪、そのうちに桂蓮様の表明があり、ほどなく真鹿子様も、傷心の中から素直に気持ちを話して謝罪されました。
冒険は終わりました。
大団円ではないでしょうが、一縷の希望の光が差し込むラスト、でしょう。
しかしそのラストはラストとして、今更ですが私は、追い詰めてしまった事を謝罪したいと思います。
申し訳ありませんでした。
ただ、『不快な場合はスキップ』と断っていますので、単なる自己満足になってしまう可能性はあります。
その場合はマスター、最後のわがままと思って謝意の伝言を願います。
ブログの拝見拝読は続けていきたいですし、皆さま方のご活躍も楽しみにしております。
しかし、喫茶室常連のおばちゃんとしてデカい面でカウンターに座り続けることは、私の中でしっくりこなくなってしまいました。
そんな資格ない、という声が、どうしても私の中から湧いてくるのです。
私の頭が作り出している苦悩、なのかもしれません。
でも今はそれに従います。
今までありがとうございました。
楽しかったです。
拙作『喫茶・のしてんてんにようこそ』が、中途半端になってしまったのが物語書きとして心残りではありますが、そんなことを言っても仕方がないでしょう。
今まで本当にありがとうございました。
感謝致しております。
皆さま方のご活躍とご多幸をお祈り致します。