一昨日、「レオナール・フジタとパリ」展を見て、藤田嗣治が少年時代を過ごした熊本の町や母校・熊大附小の様子がどうだったのかが急に知りたくなった。何か手がかりになるものはと考えたら、わが家に熊大附小の百年誌があることを思い出した。今から38年も前の昭和50年(1975)に発行されたものだ。学校創立の正確な年月日はわかっていないようだが、明治天皇の行在所となったり、古くは勝海舟や坂本龍馬らが訪れた新町の御客屋を一時期校舎としていたことや、西南戦争で熊本隊を率い西郷軍に加わった池辺吉十郎がさかんに授業参観に訪れていたという記録が残っていることなどから明治10年の戦争よりは前であることは確からしい。藤田がこの小学校に通ったのは生年からみて、西南戦争から10数年後の1890年代であることは間違いない。さすがに当時の藤田の様子を知る方もいなかったのか彼に関する記述はない。しかし、当時の小学生や教職員の様子が写真とともに断片的に紹介されている。ついでに稗田町の一角にある彼の旧居跡を訪れてみた。わが家から歩いて10分くらいのところだが、ここは今では記念碑が建てられている。僕が小学生の頃、すぐ近くの同級生の家へしょっちゅう遊びに来たものだが、その頃は記念碑などはなかったと思う。これは時代とともに藤田の評価が変わったことの一つの表れなのかもしれない。

4人兄弟の末っ子として生まれた藤田嗣治

稗田町の旧居跡

4人兄弟の末っ子として生まれた藤田嗣治

稗田町の旧居跡