
千年以上の歴史をもつといわれる「山鹿灯籠祭」だが、呼び物の「灯籠踊り」が始まったのは戦後のことで、昭和28年に藤間富士齋さんによって創作されたことは以前このブログでも紹介した。灯籠を頭にいただくという発想が今日の大成功へ導いたわけだが、この「灯籠踊り」は山鹿が専売特許というわけではなく、京都花園では江戸時代から、盂蘭盆に少女らが灯籠を頭に載せ、笛・太鼓に合わせて踊る念仏踊りが行われている。「山鹿灯籠踊り」の場合は、踊りの振り付け上、手に持った灯籠をどうするか、富士齋さんが苦心惨憺の上、頭に乗せることを思いついたわけだが、古代から頭上に物を乗せて運ぶ習慣は日本各地にあった。京都の「大原女(おはらめ)」や、徳島の「阿波のいただきさん」などがよく知られているように、特に女性の運搬手段として古くから行われていた。祭祀のとき巫女が頭上に神具をのせて運んだのが始まりとする説もあるらしい。そんな歴史を考えると、富士齋さんの発想は、ごく自然な帰結だったと言えなくもない。ただ、富士齋さんも述懐しているように、それから灯籠踊りに堪えうる灯籠を開発するに当っての灯籠師さんの苦労は並大抵のものじゃなかったらしい。そんな先人の努力にも思いを致しながら今年の灯籠踊りを見たいものだ。
※参考図書 「阿波のいただきさん(岡田一郎著)」