昭和38年(1963)の夏から今年でちょうど50年。半世紀などという表現をすると、ものすごい昔の話のように聞こえるけれど、僕にとってはそれほど昔のこととは思えない。
高校入学と同時に水球部に入った僕には、高校の夏休みにどこかで遊んだという記憶がない。夏休みに入ると同時に合宿や遠征試合などの毎日で、熊本で過ごした思い出すらない。僕が3年生となったこの昭和38年もそんな夏だった。在京の大学水泳部の合宿所を渡り歩き、大学生のチームと練習試合を繰り返しながら、日本選手権に出場したり、新潟の柏崎へ遠征したりしながら、8月下旬のインターハイに備えた。大阪でのインターハイでは優勝候補の一角と目されながら、決勝戦で敗れ、全国制覇はならなかった。
そんな思い出がなぜか今年はしきりに思い出されてならない。きっと、この3年間応援し続けた陸上の野林祐実さんが最後のインターハイだったからだろう。それほど思い入れが強かったのかも・・・
杉並区阿佐ヶ谷にあった中央大学水泳部合宿所にて(1963年8月)
高校入学と同時に水球部に入った僕には、高校の夏休みにどこかで遊んだという記憶がない。夏休みに入ると同時に合宿や遠征試合などの毎日で、熊本で過ごした思い出すらない。僕が3年生となったこの昭和38年もそんな夏だった。在京の大学水泳部の合宿所を渡り歩き、大学生のチームと練習試合を繰り返しながら、日本選手権に出場したり、新潟の柏崎へ遠征したりしながら、8月下旬のインターハイに備えた。大阪でのインターハイでは優勝候補の一角と目されながら、決勝戦で敗れ、全国制覇はならなかった。
そんな思い出がなぜか今年はしきりに思い出されてならない。きっと、この3年間応援し続けた陸上の野林祐実さんが最後のインターハイだったからだろう。それほど思い入れが強かったのかも・・・
杉並区阿佐ヶ谷にあった中央大学水泳部合宿所にて(1963年8月)